銀行の貸借対照表を考えれば、銀行券なり預金なりが信用貨幣として支払いに用いられる根拠が、その確実な資産にあることは、今日も吉村信之氏が強調していたが、たしかなことである。銀行の資産の中心は金準備ではなく債権であり、さらに、その債権が確実に支払われるのは、その背後に商品が存在しているからである。その意味で、信用貨幣は実物的な基礎に支えられているということはできる。

資産 -> 債権 -> 商品

だだし、注意しなくてはならないのは、実物的基礎は商品そのものではなく、その商品に内在する<価値>であり、しかし、その価値はまだ<実現>なされていない点である。銀行預金を引き出しにきた相手に、いくら資産をなす手形に確実なものがあるからといって、その手形で直接引き出しに応じることはできない。その手形はあくまでも、まず<貨幣>で信用貨幣の発行主体であるが銀行に返済される必要がある。その意味で、銀行資産を構成する手形で購入された生産手段なり商品なりが売れて貨幣で価値実現を達成しなければならないのである。実物的な基礎に支えられているといっても、それは商品そのものでは支えられない。手形の背後にある商品の<価値>が、銀行券なり、預金なりの貨幣性の基礎なのである。その価値は、まだ実現されていないのであるが、信用貨幣は実現されていない価値を<観念貨幣>として抽出しているのである。

ととれば、泉正樹氏の今日の報告の<観念貨幣>は許容のうちかもしれない。だがまずいですね、観念貨幣....

銀行資産には価値実現問題が残っている、といったとき、沖公祐氏が、それはobataが貨幣増加と価値増殖の区別を最近強調していることと矛盾するではないか、といっていたと思いますが、どういうことでしょうか?

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Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13