土地所有をめぐって

土地所有の無為

受動性、無為性に対して、土地所有の独自の活動を再検討してみるというのはいいと思うが、土地の貸し手としての競争活動の面で指摘するのが適切かどうか。差額地代の原理を説く場合、借り手資本の競争が、超過利潤の押し出しの原動力である点は否定できないのではないか。地代水準の決定原理は、資本の側の超過利潤にある。

土地合体資本について

この点がいちばんおもしろかった。資本投下として、すべての土地合体型の投資がまかなえるか。

  • 償却期間が無限大になっているような、投資というのは、資本G - W - G'に適合するのか。一度投資すると貨幣形態への償却回収は考えられないもの。株式資本のような、結合資本に通じるのではないか。出資する、資本結合をすると、その部分的な回収はできない。持ち分の販売、貨幣化のみが可能。土地合体資本の場合も、似た面があるのではないか。
    「個々の株主が''出資払い戻し''を完全に封殺されているという仕組み」(北原勇「「会社」概念と「企業」概念」29頁)
  • 土地所有の産業資本というのが間がえられるのか。産業資本にとって、土地は基本的に「借りる」もので「買う」ものではない。
  • 回収に長期を要し、そのため、借地期間との間に摩擦が生じるというタイプの投資もある。しかし、このような回収できる投資に関しては、その部分を土地所有者がおこなっても、実質は資本家的な活動として理論的に捉えられるかもしれない。土地所有者兼資本家?
  • 土地合体資本には特殊性がある。
    • 改良投資の場合、投資がもたらすのは豊度の変化、投資に対して一般的利潤率をもたらすようなものではない。大きな差額地代をもたらすような投資もある。鉄道建設など。それはその土地の特殊性と結びついており、どの資本でも自由に生産できるということを前提にした競争の対象にはならない。これはその土地所有と俯瞰分の改良投資である。
    • 改良投資に関しては、利子取得でもよいという収益性の最低限の問題もある。資本では平均利潤が上がらないので手を出せないような土地改良も、土地所有者なら可能である(かどうか?)。

土地公有化について

  • 土地所有は、資本にとっても、地主による所有を前提にしなければならないことはない。資本主義自身でも廃棄する動力がある(かどうか?)差額地代の受理機関としての国家。利潤率均等化を結果的にもたらす、押し出し先としてなら、私的所有である必要はない。二大階級で資本主義は可能か。森氏が強調する所有権を否定することに対する「上部構造的な」齟齬、矛盾が公有化に進まない根拠なのか。
  • 資本にとって、生産手段はすべて資本の投下対象として所有対象としてその運動のうちに取り込まれるかどうか。資本にとって、いわば”苦手”のものがある。
    • 回収に長期を要するもの。姿態変換をつうじて、増殖する運動の本性を制約。
    • 規模の大きなもの。マルクスの集中集積論的な資本主義的生産様式理解ではこれはあまり強調されていない。
    • 不均質性を残すもの。自然力一般に伏在する。労働による生産物は均質性を具えるのに対して、非生産物は不均質性を残す。差額地代における超過利潤押し出し先の存在(消極的土地所有)。
  • 資本による市場を通じた社会的再生産の把握は、以上のような(ほかにもあるかもしれないが)いくつかの理由により、非資本(流動的、姿態変換的な資本の本性に不適合という意味で「非」)的な所有のあり方を生みだす、というのが「三大階級」論的な資本主義像の根本である。逆に、資本はすべてを所有対象にできるとすれば、二大階級論的な資本主義像になる。
  • アナーキズム的な市場社会主義は、私的土地所有を廃棄した競争的な市場を理念化して、その道徳的・倫理的な意義を高く評価するのではないか。

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Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13