Power and Trust as Consttuents of Money and Credit

2004-12-16 (木) 08:19:44 obata/論文コメント/Lapavitsas

12月14日(火曜)の政治経済学ワークショップの報告です。

  • 報告によれば、近年、メインストリームのほうも、ミクロ理論のほかに、心理学や社会学との融合をはかっているようです。しかし、non-economic な領域にでていってもミクロ理論はかわらない、ということのようです。それは、純粋資本主義は段階論とは切断されるという方法とちょっとパラレルな面がある、とコメントしました。
  • 報告では、non-economic というタームで一括しているが、もし、唯物史観の公式との関連を意識しているのであれば、non-market とnon-economicとは区別したほうがいい、とコメントしました。
  • 価値形態論を例にとって、形態2-3 3-4にとものcustumがはたらいている、というようにいって、ここにpowerが介在しているのだ、というのですが、
  1. powerに関しては、商品経済自身が創出する internal power (購買力のような)と、商品経済を外部から規制する external powerとを区別したほうがいい
  2. 2-3は主としてinternal powerの説明原理で処理でき、3-4が固有のexternal powerの説明原理を必要とするのではないか、

とコメントしました。

  • monopoly of buying といういう意味でのmonopolyをメルクマールに、それが可能なdomesticなcentral bank のcredit moneyと、それが原理的に不可能なworld money という切断が強くなされている。しかし、hoarding の側面では国内でもmonopoyは考えられないだろうとコメントしました。むしろ、credit money が支配的になる状況では、さまざまな quasi-money が国内でも多発すると考えるべきではないか、とのべました。<貨幣の拡散>論です。
  • credit money にかんして、valueless でもだれかが受け取ると思うから自分も受け取るのだ、という論理をcustumということで安易に受け入れているが、これはやはりhoardingを視野に入れればvaluelessなものでは実現できないことが明らかになる。いうまでもなく、素材がvaluelessだということと、それがある価値をもつもの、将来の価値物かもしれないが、とにかく、valueをrepresentしていることとは区別すべきだ、とコメントしました。

だいたいこんなところでしたでしょうか。


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Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13