obata  2005年学会報告のためのメモ

株式資本は資本主義にとっていかなる意味で不純な要因なのか

宇野弘蔵の純粋資本主義論は、株式資本を不純な要因とする観点に立脚してきた。 これは資本主義の発展段階論、さらには原理論、段階論、現状分析という方法論をも決定づけた 重要な観点である。だがこの基本的な認識の妥当性がグローバリズムのなかで、あらためて問いなおされている。

この点の反省は、宇野によるこの主張の提起の時点からすでに、徐々にだが進められてきた。 この点は宇野の理論をめぐる内在的な論争の一つの焦点をなしてきた。 当初の論争問題は、株式資本を原理論の内部で説明すべきかどうか、であった。 ....略.... 現在ではおおむね原理論の内部で何らかのかたちで株式資本論を説こうとする 立場が支配的になっている。 そのうえで、今日の論争は株式資本の理論的な内容をめぐる論争に進みつつある。 その基本は、信用論の延長線上に株式資本を展開するかたちをとっている。 そのなかで株式資本から、資本結合一般と区別し、さらに一般的に 理論化してゆくかどうか、これが直近の問題になっている。 それは株式資本を資本の基本概念に引き戻してとらえ返すことでもある。 「資本の一般的定式」では、マルクスはあくまで個人資本家を基礎に 議論が進められており、宇野の「資本の三形式」論もこの点はかわりない。 しかし、原理的な問題として、そもそも資本とは個人資本家が本来のすがたであり、 資本結合はそれに反する要因を含む、という通年を根本から反省してみる必要がある。

  • 株式資本と結合資本
  • 結合資本と個人資本家

資本結合の問題点

固定資本の巨大化と株式資本

帝国主義段階における基軸産業が、固定資本の巨大化を伴うものであった。 このことが株式会社の一般産業への普及を不可避にした。 これによって成立した固定資本の巨大化は、自由主義段階の周期的で激発恐慌をともなう 景気循環を変質させ、その結果、全体として停滞基調を強めた。

以上のような説明には理論的に難点がある。

  • 固定資本の巨大化と株式会社の普及はどう関連するのか。
    • 固定資本の巨大化 --> 株式会社の普及
    • 株式会社の普及 --> 固定資本の巨大化

巨大化と長期化


トップ   差分 バックアップ リロード   一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13