資本の概念

小幡道昭


貨幣が資本に転化するとは?

『資本論』の資本概念は、「貨幣の資本への転化」というかたちで与えられる。 ここでは、

  1. 商品流通から資本が発生する
  2. 貨幣が資本になる werden という広狭二重の含意がある。 前者は正しいが、後者は問題がある。

Q:貨幣が資本に転化するverwandelnとはどういうことか。

A:1861-63草稿(23冊ノート)では直裁に記されている。

Wie wird Geld zu Capital? oder wie wird der Geldbesitzer(i.e. Waarenbesitzer) zum Capitalisten? (MEGA II-3.1, S.5)

『資本論』にしたがうと、商品 --> 貨幣 というかたちで展開が進み、当然、この最後の 貨幣が資本になる、転化するというかたちになっている。

Q:予備的問題:この貨幣は、いかなる貨幣か?「貨幣としての貨幣」か、価値尺度や流通手段も含む 広い意味の貨幣一般か?

A:これについては、「貨幣増加と価値増殖」4頁、5頁参照。

Q:貨幣が資本規定の中心になる理由はどこにあるのか。 A:関連する理由がいくつか考えられる。

  1. 貨幣ではじまる運動である。
  2. 貨幣の増加が目的である。動機論。貨幣蓄蔵者と同じ動機。
  3. 貨幣でのみ増加が把握できる。貨幣で始まり終わる運動。貨幣増加。
  4. 貨幣に実現されないと、増加とはいえない。実現論的視角。
  5. 貨幣は価値の独立した形態である。価値増殖であるということを認めながら、商品価値は価値として不完全であるという含意。(しかし、どういう意味で貨幣価値は商品価値に優越性をもつのか。)
  6. u.s.w.

Q:貨幣の資本への転化と同様に、商品の資本への転化ということは考えられないのか。

A:考えてよい。商品による資本<投下>もありうる、と考える。価値をもつものならば出資可能。現物出資。これについては、<投下>のところで論じる。

貨幣増加と価値増殖

『資本論』の展開は、貨幣増加から説きおこしながら、途中で価値増殖というかたちに転換する。

Q:どのようにして、価値増殖という概念が導入されたのか?

A:テキストの読み込み。(「貨幣増加と価値増殖」8頁参照)

Q;なぜ、価値増殖という概念が必要となったのか?

A:自己増殖 sich verwerten という概念は、貨幣増加では説明できず、価値増殖が必要となる。

Q:「過程を進みつつある価値」という概念を認めるか?

A:この概念の内実は、価値=主体的増殖説である。その意味でこの概念は誤りである。貨幣増加説に戻るのも誤りである。増殖概念には、価値量という観点が欠かせないが、それは商品の価値でも、貨幣の価値でもない、資本として「過程を進みつつある価値」、第3の価値があるわけでない。

Q:商品の価値と貨幣の価値しかない、とすれば、価値増殖はどちらの価値で生じるのか。

A:貨幣の価値は変わらないと考えれば、商品の価値においてである、ということになる。しかし、貨幣の価値も変わるかもしれない。

「一般的定式の諸矛盾」について

ここでおもしろいのは、貨幣増殖が価値増殖にならない例をマルクスが自ら示している点である。すなわち、第二の矛盾の部分である。13頁を参照されたい。その含意は、次の「貨幣の価値」で考えてみる。

「三形式論」について

ここでのポイントは、「世界資本主義」=ボタンの掛け違え説である。 宇野の形態的な資本の概念規定が、貨幣増加への傾斜を促す副作用をもっていた。「世界資本主義」的な「基軸と周辺」「流通界」はこれを加速。その後、山口説、伊藤説(とくに「次元の相違論」の見直しのもとで)などでは、世界資本主義的な市場像の修正が図られた。しかし、貨幣増加的な観点はそのまま。...というのが粗筋です。

Q:ボタンの掛け違えというのは、何を何と取り違えたのか?

A:増殖の客観的根拠=価格差の必然性 --> 基軸や流通界では、一物一価的な市場像を強化。市場の無規律性が理論化されなくなる。繰り返しの購買によって一物一価をつくりだすという「価値尺度」理解の問題。

「貨幣の価値」について

O:一般に「貨幣の価値」について、どういうような説があるのだろうか。マルクスと貨幣数量説との関係は、どう考えたらよいのか、など。

Q:指数のパラドックス(20頁)に関して、どう考えるか。

Q:価値表現のアポリア(24頁)は存在するのか?

実現統一的な表現
貨幣の価値解除されている欠く
商品の価値評価にとどまるすべて貨幣価格をもつ

転売と投資の区別

Q:投下と前貸とは同じことである、と解釈してよいのか。

Q:姿態変換は価値増殖という概念にとって不可欠な要件か?

A:否。 転売は増殖のための一つの手段であって、増殖の必須条件ではない。

評価と実現

Q:利潤率はつねに含み益・含み損を含んでいる、といってよいのか。

Q:資本は抽象的には、株式資本である、といってよいのか。

A:個人経営的な資本家像は、理論的には導き出せない。株式資本は不純な要因によってそうなっている、というのであれば、それと同じ意味で、個人資本家も、不純な要因によってそうなっている、とみるできある。


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Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13