- 日 時:2019年 4月24日(第4水曜日)19時-21時
- 場 所:駒澤大学 3-802(昨年できた新しい建物の一室)
- テーマ:『資本論』第2巻 序言
第2巻に進みます。今回はエンゲルスの「序言」を読みます。第2巻の性格を知るうえで最低限必要なことを説明します。
はじめに
これから第2部を読んでゆきますが、はじめに、『資本論』の構成について考えてみます。というのも、『資本論』の執筆と刊行の経緯が詳しくわかってきた現在、私が50年前に『資本論』に最初に接した時代のようには、やはり読むわけにはゆかないと思うからです。私は、『資本論』という書物は、マルクスの手を離れ、その後の歴史のなかでさまざまに読まれてきたのであり、この読まれてきた歴史を無視して、『資本論』草稿にもどってマルクスが最後まで追求した『資本論』の完成像にできるだけ立ち戻ろうというわけにはゆかない、と考えています。この点について、『資本論』という書物を、現代において、どうよんでいったらよいのか、議論してみたいと思います。
「序文」について
エンゲルスの「序文」は編者であるがエンゲルスが、その編集の経緯を説明したもので、さしあたり、第2部の成立経緯を知る重要な史料となります。とくに、理論的に議論するようなところではないかもしれませんが、読んで質問があればどうぞ。
八つの草稿について
棒線の前の部分で説明されています。
- 65-70年の第1-4稿。70年の2稿がだいたい第2巻の半分48%。これに67-69年の4稿が7%くらい。
- 77-78年の第4-7稿。第5稿中心に利用。20%弱。
- 79-81年の第8稿。最も新しい草稿で第3篇の表式論。第2巻の1/4程度を占める。大谷禎之助『『資本論』草稿にマルクスの苦闘を読む』2018 第5章に訳出されている。
ロートベルトゥスからの剽窃 Plagiat 説への反駁
Johann Karl Rodbertus-Jagetzow 1805 – 1875は、マルクス、エンゲルスのワンジェネレーション上。マルクスがロートベルトゥスを知るにいたたった「事情」を解説。剰余価値論がすっかりできあがった1859年ころのことだという。
『国富論』を参照し「支払われた労働」をこえる「剰余労働」ならすでに事実上知られていたことだという。マルクスのオリジナルは、これを剰余価値としてとらえ、その利潤と地代への分割の法則を説いた点にあり、これは第3部で明らかにされるだろうという。
さらにリカードの『原理』を引き合いに出し、価値量が剰余価値の分割から独立にきまるという原理をロートベルトゥスは理解していない、その程度のレベルだ、と批判。
“The Source and Remedy of the National Difficulties. A Letter to Lord John Russell”, London 1821. をもちだして、剰余価値という一般的形態と、利潤、利子、賃料などの混同を正した点に『資本論』の剰余価値論の重要性を説く。さらに “An Inquiry into the Principles of the Distribution of Wealth, most conducive to Human Happiness”, by William Thompson, 1822 をから引用して次のようにいう。
白状するが、私は、ある種のはずかしさを感じながらこれら数行を書いている。20年代および30年代のイギリスの反資本主義的文献は、マルクスがすでに『哲学の抗閤』のなかで直接にこれを指摘し、またそのうちのいくつか — 一八一二年の前記のパンフレット、レイヴンストン、ホジスキンなど—を『資本論』の第一巻のなかでたびたび引用しているにもかかわらず、ドイツではそれがまったく知られていないということ — それはまだがまんしてもよい。しかし、「真に、なにものも学んでいない」、絶望的にロートベルトゥスの上衣のすそにしがみついている”俗流文筆家”だけでなく、「学識を鼻にかける」顕官の教授も、すでにA・スミスやリカードウの著書に書いてあることまでマルクスがロートベルトゥスから盗んだと言って本気で非難するほどまでに、自分の古典派経済学を忘れてしまっているということ — これは、公認の経済学がこんにちどんなにひどく堕落してしまっているかを証明している。(21)
古典派経済学、イギリスのパンフレットをもちだして、ドイツの学者知識人を叩くのは、もっぱらドイツ人むけにこの序文が書かれているからでしょう。
このあとフロギストン説を例にして、マルクスをラヴォアジェに、ロートベルトゥスをプリーストリーになぞらえ剰余価値論が位置づけられています。
最後にリカード学派の理論的破綻の原因が
- 労働力の価値と価値法則の不整合
- 生産価格論
にあることが指摘され、これは第3部で解決されると予告されている。
日本における『資本論』の受容
私は『資本論』が日本に翻訳導入されたとき、全三部がそろってはいってきたことは重要な意味をもつのではないか、と思います。その理由について、少し説明してみます。