- 日 時:2019年 9月18日(第3水曜日)19時-21時
- 場 所:駒澤大学 3-802(三号館の奥のエレベータで8階に)
- テーマ:『資本論』第2巻 第1篇第4章
今回も論点を絞って要約してみます。
- 資本の運動における「連続性」とはなにか
- それは、なぜ必要なのか
について考えてみます。
連続性と資本の分割
はじめに、三つの循環形式を並べて形式の検討がなされていますが、結論のポイントは「連続性」です。
三循環の統一においてのみ、上述の中断に代わって総過程の連続性が実現される。社会的総資本はつねにこの連続性をもち社会的総資本の過程はつねに三循環の統一をもつ。S.107
そして資本の連続的な運動を保証する「資本の分割」について次のように述べています。
資本の分割にあたっては一定の数的比例が存在しなければならない。
中断・価値革命
連続性の系論として、二点、論じられています。
「価値革命」Wertrevolution というのは生産方法の改善。これは「価格」の変動ではなく、「価値」の変化をもたらしますので、「正常な状態」を考える範囲でも考える必要があります。
- 価値革命→一部個別資本の滅亡→(集中論は書いてありませんが)
- 価値革命→生産中断→回避のための貨幣資本の増大
価値の自立化
さらに系論として、連続性→自立化を指摘。これを認めないベイリー批判が展開されています。
これはむずかし問題です。『資本論』は労働時間を価値の大きさを決定するものとすることで、異時点での価値の比較、増殖を説明します。労働時間とすることで問題は解決したのかどうか、検討してみる必要があります。
ベイリー以前に、リカードの投下労働時間による価値の決定論も、異時点での比較を除外したかたちで与えられています。スミスは、異時点での比較は生産力の変化を考慮すると、投下労働時間ではむずかしい。
なぜならどんなに生産力が変化しようと、労働量できまる社会的富の大きさはかわらない。労働日と人口だけが決定要因だということになりますから。そこで支配労働量を異時点での富(価値量)の比較にもちだした、と考えられます。
マルクスはリカードの投下労働価値説を発展させたといわれてきました。しかし、リカードの自重した異時点間の比較可能性をどう乗りこえたのかには、不明なところがあります。
貨幣資本の遊離・拘束
生産諸要素の価値変動が、「貨幣資本の遊離・拘束」Freisetzung und Bindung von Geldkapital (S.113)をもたらす。この関係から、つぎのように集中独占論を示唆しています。
循環の反復中に諸舵乱が相殺される限り、過程は実際に〔正常に〕進行する。諸撹乱が大きければ大きれば大きいほど、相殺を待つことができるために、産業資本家はますます大きな貨幣資本をもたなければならない。そして、資本主義的生産の進行のなかで各個別生産過程の規模が拡大され、またそれにつて前貸しされるべき資本の最小限の大きさが拡大されるのであるから、右の事情は、産業資本能をますます個々のまたは結合した大貨幣資本家たちの独占に転化させる。
商品変態のからみ合いと資本循環のからみ合い
二つのからみ合い Verschlingung の異同を論じるなかで、
他の生産様式との接合問題にも論及しています。S.113
大規模生産・大規模消費
ここでシスモンディを糸口にして、商人資本(その後のマルクス経済学の用語法でいえば商業資本ですが)に言及しいます。が結論は、これは本質を隠蔽するが故に捨象する、というものに終わっています。「また一般にこの第二部の全体において、金属貨幣としての貨幣を取り上げ、象徴貨幣、すなわち特定の諸国家値章標、およびまだ発展していない信用貨幣を除外する」というのですが、内容の深化はありません。
「現物経済・貨幣経済・信用経済」批判
横線でくぐられた後に、ドイツ歴史学派の発展段階論批判がでてきます。
資本が生みだす需要と供給
最後のもう一つ横線があり、そのあとに、1877-8年の草稿からの抜粋があります。
ここでは貨幣資本の循環運動における「G < G'問題」が論じられています。これは W' --- W' 循環を考えれば貨幣は流通手段になる、が正解とされていますが、ここではこれでスッキリ片付いているといえません。片付かないままに「次に、再生産に進もう」(S.122)と論点を移しています。 最後のところに「資本主義」という用語が登場します。ここはこの一語で有名な箇所です。
致富 Bereicherung そのものではなく享受 Genuß が推進的動機として作用するという前提によっては、資本主義 Kapitalismus はその基礎においてすでに廃止されているからである。