世田谷市民大学2024第6講


はじめに

前回は、現代資本主義に大きな影響を及ぼしている情報通信技術について、歴史的に通観してみました。目まぐるしく変化するカタカナばかりの現象を追い求めるだけではなく、情報処理とはそもそも何をどうすることなのか、通信技術は生産中心でみてきた経済にどう関わってきたのか、原理的な視点から、一度は鳥瞰してみるのも無駄なことではないといったお話をいたしました。

最終講にあたる今回は「環境」をテーマに取りあげてみたいと思います。この問題は避けて通れない段階にはいったことに、現代資本主義の一つの大きな特徴があるといえそうです。植民地における天然資源開発や20世紀後半の公害問題のような地域的・局所的な問題にとどまらない、地球規模の環境破壊が進むようになったといってよいでしょう。伝統的な南北格差に、先進資本主義諸国と新興資本主義諸国の対立が重なり、環境問題は国際関係をより複雑なものにしています。こうした個別レベルの諸問題に立ちいる余裕はありませんが、ここではなぜ問題がかくも複雑になるのか、環境問題を考える基礎的な枠組みについて考えてみたいと思います。

こうした基礎を固めようとするとき、「情報通信技術」という言葉と同様に、「環境」も入り組んださまざまな現象を包み込んでいることがまず問題になります。しかも、社会的価値観=イデオロギーと強く結びきやすく、学問的な議論がむずかしくなるところがあります。「情報通信技術」の場合は、少なくとも個人のレベルでは“私はスマホはもたない主義だ”と回避できる、いわば好き嫌いのレベルのイデオロギーだったものが、すべての人々を取り囲む「環境」の場合には、善か悪かの本格的なイデオロギーになりがちです。

さらに「環境」をめぐる議論が混乱するのは、この言葉が内包する諸要素の間の複雑な関係です。ここでは脱原発と脱炭素のように、AをたてればBにはプラスだがCにはマイナスだといった相反が何重にも重なり、「環境」なるものの全体について語ることを困難にします。Bに関心があるか、Cに関心があるかで、Aの評価が逆転してしまう可能性があるわけです。

とはいえ、問題が複雑なことをいくら繰り返してもはじまらないので、ここではこの難しさを自覚した上で、逆に思いきって単純化したらどうなるのか、という立場で現代資本主義と環境の問題にアプローチしてゆきたいと思います。“そうはいっても、こういう問題もあるじゃないか”という疑問には“それはそれとしてまた考えるとして、そうした個々の問題によって変わらない全体の枠組のほうをまず明らかにしておこうと思うのです”と— いささか乱暴な門前払いになりますが— 答えておきます。

環境とは

自然

前回の講義では、技術と熟練、技術と科学といった、ある意味で境界線が引きにくい用語が存在するとき、対概念をたてることで、真か偽か、白か黒か、とにかくハッキリさせることで、論理的な推論を可能にすることができるのだという話をしましたが、環境についても同じような言葉づかい、約束事をしっかりしておくことが必要です。ただ、結果はだれもが知っているアタリまえのことになるので、なにか新しい知識がほしい人には煩わしいだけでしょう。そういうときは、我慢して読んでもアタマに入らないので時間の無駄…であれば読み飛ばしてもかまいません。

経済学で「環境」という言葉が使われるようになったのは、かなり最近のことです。おそらくこの用語は、生物学由来の学問の諸分野に広がっていったのではないかと思います。ただ経済学でも古くから、「自然」という用語で「環境」に関わる諸問題は論じられてきました。もっとも社会科学の分野における「自然」という用語は、これまた多義的で実に扱いづらい代物です。

そこでここでも、例によって対概念を考えてみましょう。「自然」の対をなすのは何でしょうか。多分辞書をひくと、反意語としてでてくるのは「人工」でしょう。経済学でも「自然価格」とか「自然利子率」という用語がでてきますが、要するに人為的な干渉なしにある期間を通じて安定しているという意味で、日々変動する「市場価格」や「市場利子率」と対にして使われます。ただこれは、「人工」でないという意味で「自然」の概念を保っていますが、これは環境につながるものではありません。

もう一つ、経済学で「自然」という用語が登場するのは「労働」との対です。たしかに「人工」のものは「労働」で「つくられた」もの man-made です。こちらが「環境」につながる「自然」です。古い時代の経済学にかぎらず、今日の経済学でも、この第二の意味での「自然」の概念は変わりありません。ひと言でいえば、当然といえば当然ですが、人為によって変わらないものというのが基本定義です。リカードの『経済学および課税の原理』のなかに次のような一節が登場します。

地代は、大地の生産物のうち、土壌の本源的で不滅な力 original and indestructible powers of the soil の使用にたいして地主に支払われる部分である。 しかしながら、それはしばしば資本の利子や利潤と混同されている、そして通俗語では、この用語は、農業者によって地主に支払われるものには、何にでも適用されている。 (Ricardo[1817]:67)

ここに「土壌の本源的で不滅な力」というのがでてきます。「本源的」というのは「人工」でないという意味で、そうしたものは使っても壊れることはないというのです。それは「土」のもつ力だというのです。耕作すると地力は落ちてゆく気もしますが、でもそれは適切に肥料を与えれば回復すると考えられているのでしょう。降水量や気温などの条件はたしかに特定の場所に固有なものなので、不滅だといってよいかもしれません。そして、同じように耕作しても、土地によって収穫量が違うので、優等な土地では地代を払っても採算があうというのです。いちばん劣等な土地では地代が限りなくゼロに近づき、この地代ゼロの土地の収穫量(例えば 1/h )に対してそれを上まわる収穫量(1.2/h )をもたらす土地には超過分( 0.2/h )が地代として払われるというリカードの差額地代論はよく知られたものです。経済学では、「環境」の問題は土地に代表される「自然」として捉えられ、主として「地代」とりわけ「農業」地代の問題を中心に論じられてきました。

定常状態

この場合、優等な土地から利用されてゆきますから、人口が増えて耕作地が拡大されるにつれ、劣等な土地が利用されるようになってゆきます。その結果、劣等な土地の収穫量が基準になりますから、劣等な土地がどんどん耕作されるようになると、優等は土地の地代がどんどんふえてゆくことになります。このような拡大につれて、そのなかでいちばん劣等な土地の収穫量が、1/h → 0.8/h → 0.6/h となると、1.2/h の収穫をもたらす優等地の地代は0.2/h → 0.4/h → 0.6/h と増えてゆきます。はじめ地代が支払われなかった収穫量1/hの土地にも、0/h → 0.2/h → 0.4/h の地代が支払われることになります。

労働者の生活水準がこれより下がりようがない水準にあり、そうしたなかで地代がどんどん増大してゆくと、けっきょく利潤部分が減少してゆくことになります。こうして蓄積が増え雇傭が増えてゆくなかで、利潤は減少してゆき、最後に利潤がなくなるところまでゆくと、蓄積がとまり、経済は同じ規模で繰り返されるようになるはずです。こうした状態を定常状態 stationary state というそうです。なぜこの話をしたかというと、人間の経済は環境の問題を考えるとき、ゆくゆくは、あるいはもっと近い時期に、あるいは今すぐに、といろいろ幅はありそうですが、いずれはこの状態に落ち着かざるを得ない、あるいはそうすべきだろうと考えられるからです。

定常状態に関する研究はあまりなされていないのですが、たとえばこのとき、どんどん膨れ上がってゆく地代はどのように使われるのか、地主は経済学では地代の受け皿のような消極的な役割をするだけなのですが、この膨れ上がってゆく地代は生産に使われることはないのか、もしそうするとどういう結果になるのか、といった問題は、もし、今述べたようにいずれは定常状態にゆきつくとすれば、まじめに考えてみる価値がありそうです。

自然力

リカードも自然の「本源的で不滅な力」自体はどの産業でもフリーに(つまりタダで自由に)利用されているといいます。ただ、「土壌」に代表される自然に関しては、優等な条件ほど、量にかぎりがあり、その結果、地代が生じるというのです。農産物や鉱産物のような一次産品にかぎり、生産量が拡大されるにつれて生産性が低下し格差が広がるために差額地代が増大せざるを得ないとされているのです。

『資本論』になると「土壌」から解放された「自然力」の利用が、つぎのように一般的なものとしてろんじられるようになります。

労働手段は、機械として、人力に置き換えるに自然の諸力をもってし、経験的熟練に置き換えるに自然科学の意識的応用をもってする、一つの物質的実存様式をとるようになる。(Marx[1867]:407)

こういう文章はちょっと難しく感じるかもしれませんが、慣れれば何でもありません。せっかくですから、どう読むのか、説明すると、「物質的実存様式」というのは手で触れる機械のことをいっているだけなので“「実存」って五感でわかるものあり方をいうときに使うんだ”とちょっとアタマにメモしておいて、別のところでこの見慣れる言葉に出くわしたときに思いだすことにします。で「労働手段は、… 一つの物質的実存様式をとるようになる。」という外枠を捨ててしまえば、要するに、機械では、蒸気機関や電動モータが人力にとって変わり、「自然科学の意識的応用」というのは前回お話しした「技術」のことですから、熟練が技術にとって変わる、というアタリまえのことをいっているだけということになります。

ただ「どう読むか」で重要なのはこの先です。この解釈を“マルクスも言っているように…” と肯定的にそのまま使う人がけっこういるのですが“あんたは引用魔か、コピーマシンか” といいたくなります。大事なのは“機械:人力→自然力、熟練→技術” という図式でほんとうによいのだろうか、と自分のアタマで考えてみることです。マルクスがいったからといって正しいという保証はないのですから。この作業を解釈と区別して批判(批評)といいます。重要なのは、正しい解釈に基づく的確な批判です。解釈として正しいということと、その内容が正しいということは別です。正しい解釈が間違った内容になっていることもあれば、誤った解釈が正しい内容になっていることも —こうなってしまうものは古典として読む価値がないでしょうが — ありうるのです。現代資本主義とはだいぶかけ離れた話題になってしまいましたが、『資本論』ばかり何十年も読み続け、いろいろな人たちと議論するなかで私が痛感したことなのでひと言。

さて問題をもとに戻すと、“機械:人力→自然力、熟練→技術” という図式の問題点です。結論からいうと、人力と熟練が切り離されてしまっている点にあります。労働力 Arbeitskraft は「人力」Menschenkraft ではありません。『資本論』ははじめ、労働力を人間に特徴的な目的意識的活動として規定し、「人力」を意識的に自己コントロールする能力として捉えながら、後になると事実上「人力」と同じものとみなすようになります。目的意識的活動と広く捉えれば、当然、力をコントロールする「熟練」は労働力の重要なファクタになります。「労働力=身体能力+熟練」というように一体で理解する必要があるのです。したがって労働過程が三つの契機で構成されるのです。この点は第4講の「労働の三契機」でお話しました。

このように労働力という言葉を三つの契機に広げて使うとすると、「人力」に対応させられている「自然力」のほうにも問題がでてきます。この「自然力」は物理的な力あるいはそのもととなるエネルギー源という意味に限定されてしまっています。しかし意識的に応用される「自然科学」は文字通りさまざまな自然現象を対象としているのであり、技術は自然の諸作用を利用するものです。もちろん蒸気機関のような物理的な力もその一部になりますが、それだけではなく歯車やネジ、バネや振り子などの機械を構成する物理的仕掛けはすべて「自然の諸力」と考えるべきです。「自然の諸力」Naturkräfte は物理的な「力」ではなく、広い意味の「作用」をすべて含むことになります。それだけではありません。およそ力とはいえない化学反応も「自然の諸力」によるものですし、植物の光合成だって「自然の諸力」の賜です。コンピュータのハードウェアも「自然の諸力」によるものです。

「機械」は「人工物」ですが、同時に「自然の諸力」の結晶でもあります。「労働力=身体能力+熟練」と考えると、「機械」のような「労働手段」のほうも、「自然の諸力+自然科学の意識的応用」となっているのであり、両者は切り離せないものとなるのです。要するに、「自然」対「人工」という対概念は実は使いものにならないのではないか、という結論になります。『資本論』の先の一節は、よく読んでみると、「自然」対「人工」という二分法の限界が明らかになってきます。『資本論』にこうした限界があると書いてあるのではありませんが、自分のアタマで考えなおしてみると、限界があることに気づくように書いてあるのです。何をいっているのかわかりません…って、要するに、疑って読むと新しいことに気づくような文章だ、ということなのです。鵜呑みにしたらダマされるだけ… というのはいいすぎかもしれませんが。

環境

「人工」物である機械がその反対物である「自然」力の結晶であるといった矛盾に陥ってしまうのはなぜでしょうか。ひと言でいえば、原因は「本源的で不滅な」という自然の規定です。人間のはたらきかけで「つくられる」 「人工」man-made の世界の外側に、人間のはたらきかけによって影響をうけない、純然たる「自然」の世界が広がっている、という自然観が問題だったのです。二つの世界はしっかりした壁で区切られており、壁のこちら側で人間がどんなものをつくろうと、壁の向こう側には「本源的で不滅な」自然が存在するというリカード以来の経済学の枠組みであり、『資本論』も先の引用をみるかぎりでは、この二分法をこえられなかったのです。

労働の概念を三つの契機を含むものに拡大してみると、棉花や綿糸のような労働対象も鍬や紡錘のような手段も、すでに労働によってかたちを変えられたものであり、これから変えられるもの、つまり「つくられる」ものです。その意味では、加工されたものたものです。しかし、その加工は、自然法則にしたがってはじめて可能になるという意味では、自然によってそうさせられたもの、「つくらされた」ものでもあります。どんなに頑張ってみても、念力でスプーンを曲げることはできません。曲げるには合理的な方法で力を加える必要があるのです。人間からみれば、目的意識的につくっているようにみえますが、客観的にみれば、自然法則にしたがった行動を強いられているわけです。労働主体と労働対象の関係は、一方が一方を規定するというのではなく、行ったり来たりの関係です。「自然」対「人工」という二分法は、この作用反作用の関係を厚い壁で切り離してしまうから、矛盾を引きおこすのです。

このように考えると、経済学がずっと使ってきた「自然」という言葉にかえて「環境」という言葉を使う意義がハッキリわかります。労働によってつくりかえられると同時に、労働のあり方を規定している「場」が「環境」なのです。「自然」という言葉に籠められた本源性とか不滅性とかいった性質は「環境」にはありません。逆につねに労働によって影響をうけているのであり、同時に労働のすがたを規定している、こうした状態を「環境」とよぶのです。機械も環境だというと、通常の言葉づかいからはズレるかもしれません。それは「環境」という言葉が「自然」という言葉とほとんど同義に使われているからです。これは、「自然」という言葉が、変わらぬ不滅なものを指したり、「自然の成り行き」とか「自然に治った」とか、理にかなった変化を意味したり、実に多様なニュアンスをもって日常的に使われているからです。現代資本主義の一つの基本問題として「環境」の問題があるという場合、このような多義的な「自然」という言葉から「環境」という言葉を区別して、多少日常的な感覚からはズレますが、厳密に「労働がおこなわれる場」というように定義して使ってゆく必要があるのです。『資本論』ばかり50年も読み続けいろいろな人と議論するなかでわかったことは、“論理的に考える”というのは、けっきょく“言葉を厳密に定義し文法規則に則って矛盾なく語る”ことに尽きるという基本でした。

環境とイデオロギー

イデオロギー

はじめに述べたように、現代資本主義について考えようとするとき、「環境」は避けて通れないテーマですが、経済学の観点から学問的に議論しようとすると難しいことになります。一つにはいま述べた言葉の問題があるのですが、もう一つこれと関連して、つねにイデオロギーの問題が絡んでくるためです。イデオロギーというと、それ自体がまた難しいことになるのですが、ここでは「社会的な通念」「社会的な価値観」という意味でイデオロギーという言葉を用いることにします。テリー・イーグルトンが『イデオロギーとは何か』で述べているような意味です。正しいといっても、理論的論理的に正しいというのと、実践的にこうするのが正しいというのは別です。この後のほうの意味での正しさは価値観といってもよいと思います。

好き嫌いからはじまって“これが正義だ、それは悪だといった”だ道徳倫理にいたるまで、さまざまなレベルがありますが、こうした価値観、価値判断なしには、人間は何も行動できないでしょう。あらためて“なぜそうしたの?”ときかれると説明に窮するのですが、そんな説明ぬきに日々行動しているわけで、そこにはそれなりに一貫した価値観が存在するといってよいでしょう。理屈っぽい人も、なぜその理屈にそんなにこだわるのか、という理由は、理屈では説明できない特定の価値観に基づいているのです。

このなんとなくそうだと思う理由は、個々人の内部で完結しているのではなく、自分が共感できる人たちがそういっているからとか、いやなあいつがそういうから自分はそうはいわないのだ、とか、長年にわたる日常的な経験から形成されたものです。整合的に組み立てられた理論だけで生きている人間をみたことはありません。その意味で、価値観のほうは「社会的」につくりだされ、人々の間でなんとなく共有されているものです。だれか特定の人がいっているというのではありません。それがどんなに著名な人がいったとしても、ある人が“そういっている”ではまだイデオロギーにはならないのです。一般に“そういわれてる”というように受動態で匿名化された社会的価値観がイデオロギーの本質です。

これがトリックで、自分のイデオロギー性というのはなかなかみえないことになります。逆に、自分と違う価値観をもつ人々にでくわすと、“あいつはイデオロギッシュだ”と非難したくなるのです。自分はイデオロギーから自由であり、相手が奇妙なイデオロギーに囚われているようにみえるのです。自分のイデオロギーに気づかず、相手のイデオロギーには敏感であるというイデオロギーの本質をイーグルトンは体臭にたとえていましたが、私はけっこうこれで納得しました… ダマされたのかもしれませんが。

環境

マルクス経済学は、資本主義のしくみを理論的に分析するだけではなく、それがみえないイデオロギーに支配されていることも説明しようとしてきました。私自身は理論に徹するのに精一杯で、あとのほうに手をだす気はありませんが、“後のほうにこそマルクス経済学の最大の意義があるのであり、それをやらない宇野原論はマルクス経済とはいえない”くらいに思っている人もいるわけです。マルクスがエンゲルスとともに若いころ「ドイツイデオロギー」という草稿など多用したイデオロギーという言葉は『資本論』にはほとんどでてきませんが(第1部の終わりに説明ぬきに一箇所登場します)、「物象化」とか「物神性」という言葉で、資本主義のみえないイデオロギーが論じられています。しかし、これには「環境」という問題は含まれていません。こういうと、そんなことはない、と最近のマルクス主義エコロジーの支持者から猛反発を喰らうわけですが、これについては、このあとふれておきます。

もっと重要なのは、資本主義が独自の「見えないイデオロギー」(「白い白馬」と同じ撞着語法になりますが)に支配されているように、環境もそれ自体つよいイデオロギー性をもっている点です。環境は自然科学の諸分野に横断的な共通の対象を構成しています。そのかぎりでは特定の価値観に影響されることのない、客観的な科学的対象です。たしかに、生態系や気候変動などを説明するためには、個別の専門分野に細分化される傾向があったこれまでの研究方法を見なおし、包括的・全体的なアプローチが新たな求められているのもたしかです。しかし、それでも環境が客観的な科学的研究の対象であることは変わりありません。

ところが、経済学をはじめ、社会科学の分野における「環境問題」は、社会的な価値判断と切っても切れないテーマとなります。それは社会科学である以上当然のことと思われるかもしれませんが、かなりレベルが違う気がします。もともとマルクス経済学は、資本主義を前提にしたまま、こういう政策で問題が解決できるという提案をすることはしてきませんでした。だから、役に立たない、といわれてきたのですが、“なぜ解決すべき問題が生じているのか”を客観的に分析することに関心があるものにとって、その場限りの政策提言に興味がないのは、この立場からすれば当然です。この先はちょっと水掛け論になるので立ちいりませんが、ともかく“どうすべきか”に先だって“なぜそうなったのか”を考えることはできるはずです。ところが、かつて宇野弘蔵が主張したこのような「社会科学」の立場で「環境問題」について語ろうとすると、これまでにない困難を感じるのです。

エコマルキシズム

21世紀に入って、エコマルキシズムとかエコロジー・マルクス経済学といった立場の研究が多くでるようになりました。私が読んだのはジョン・ベラミー・フォスターの『マルクスのエコロジー』(2004)という本ですが、『資本論』について検討した第5章をみると、そこでとりあげられているのは次の二箇所のみでした。

一つは第1部の「機械と大工業」の章で「大工業と農業」を論じた次の一節です。

資本主義的生産様式は、それが大中心地に堆積させる都市人口がますます優勢になるに従って、一方では、社会の歴史的原動力を蓄積するが、他方では、人間と土地とのあいだの物質代謝を、すなわち、人間により食料および衣料の形態で消費された土地成分の土地への回帰を、したがって持続的な土地豊度の永久的自然条件を攪乱する stören。(Marx[1867]:528)

もう一つは第3部の「地代」の篇の末尾の章にでてくる次の一節です。

(資本主義的生産様式に伴う) 大土地所有は、社会的な、生命の自然諸法則に規定された物質代謝の連関のなかに、取り返しのつかない亀裂 Rißを生じさせる諸条件を生み出すのであり、その結果、地力が浪費され、この浪費は商業を通して自国の国境を越えて遠くまで広められるのである (リービヒ)。(Marx[1994]:821)

これらの箇所が『資本論』のエコロジーに関わる言及であることは間違いありませんが、『資本論』全体のなかで中心的な役割を果たすものなのか、あるいは関連する事項としてふれただけなのか、検討することなしに、マルクスをエコロジー経済学の先駆にしてしまうのは、環境問題がもつイデオロギーの力ではないかと思えたのです。たしかに、成年男子産業労働者の階級闘争ばかりにウェートをおく旧来のマルクス主義への反発はよくわかるのですが、だからといって、『資本論』の数ヶ所に依拠し、あるいは晩年の引用ノートをひっくり返してみて、マルクスにエコロジストの一面を見いだすというのは、少なくとも経済学として『資本論』を批判的に読んできたものには同調しがたいものがあるのです。

人間と自然との間の物質代謝

ところで、上記の二箇所とは別に、エコマルキシズム以前から、マルクス経済学で「自然」を論じる人々が繰り返し参照してきた第1部の「労働過程」のよく知られた一節があります。

労働は、まず第一に、人間と自然とのあいだの一過程、すなわち人間が自然との物質代謝を彼自身の行為によって媒介し、規制し、管理する一過程である。(Marx[1867]:192)

これを引用して、“労働とは人間と自然との物質代謝の過程である”という人が多いのですが、物質代謝自体は生命体一般にいえることであり、これは何ら人間に固有な労働を規定したものではありません。『資本論』をちゃんと読むなら、この後で、人間はこの物質代謝を目的意識的におこなう点で他の動物とは異なるといっている部分を引用し、労働とは合目的的活動であると規定すべきなのです。合目的的活動については第4講で多少踏みこんで話してみましたし、今回も第1節で「自然」ではなく「環境」という『資本論』にはでてこない言葉を使う必要がある理由としてこの合目的性を指摘しておきました。

この講義では、これ以上立ちいって話す時間がなくて、何とも中途半端なかたちになってしまい残念なのですが、要するにどういうことがいいたいのか、ひと言でまとめておきます。 結論は「人間と自然との物質代謝」では「自然」対「人工」という無効な二分法を克服できないのであり、これにかえて、合目的的活動としての「労働」とそれを支える場としての「環境」という枠組みを設定しなくてはならない。『資本論』の「物質代謝」という用語を踏襲しているかぎり、「自然」対「人工」という二分法を超えることはできないのであり、そこから脱却するには『資本論』のコア部分から批判的に組み立てなおすほかないのだというのが — 内容に立ちいらずに断言してもしょうがないのですが — 私の立場です。多くの人が環境問題に関心をもち、そして市場志向的な経済学ではダメなのではないか、この点でマルクス経済学には新しい可能性があるのではないか、と考えるのはよいことだと思います。ただそれは、『資本論』から関連がありそうな箇所を探しだすのではなく、その根本に立ちいって批判し再構成する以外ないのだ、ということをもう一度強調しておきたいともいます。

現代資本主義と環境

トリミング

環境破壊の問題は現代資本主義に固有の問題ではありません。ある意味では、そのはじまりから資本主義は環境破壊的な性格をもっていました。しかし、この講義で「現代」と規定した時代における環境破壊は、公害問題のような地域的部分的なものだけではなく、地球温暖化のように地球規模のグローバルな性格を強めるようになりました。第三世界における資本主義の勃興はこうした変化の重要な要因だったといってよいでしょう。現代資本主義論としては、この点に焦点をあてて具体的に論じる必要があるのですが、今回も環境問題の一般論に終始してしまいました。ここでは残った時間で、非常に単純化した結論のみになりますが、私の積極的な考えを述べてみたいと思います。ポイントのみの摘記になります。

最初のポイントは、生産という行為は一種のトリミングになっているという点です。労働の基本概念を目的意識的行動と規定したのですが、目的をまず定めて、それに必要な手段を用意し、これを操作するというとき、この手段と目的の間に存在する合理的な組合せは、実はもっと複雑で制御できない環境への影響、環境からの影響に目をつぶることではじめて可能になるということです。米を生産するというとき、種籾がどれだけ、肥料がどれだけ、何時間の手間がかかり、… と手段を考えてゆきますが、このとき吸収する二酸化炭素や排出する酸素はカウントしないでしょう。

1 + 1kg + 10 → 5

のようなかたちで、再現性のある部分だけを切り取り、つまりトリミングすることで、人間が目的意識的に制御できる(かのように見る)ことが、ある意味で「技術」の正体なのです。

コントロールできない領域

「技術」が実は、さまざまなモノの複雑なやりとり(反応過程)の一部を切り取り、操作できるように単純化することに支えられているということは、その周辺にコントロールできない不可測・不可知な領域が広がっているということを意味します。人間が目的意識的に活動できるというのは、目的-手段の関係でトリミングした内部の世界しかみていないからなのです。問題は目的合理的になればなるほど、コントロールできない外側の世界は視野からこぼれ落ちてゆくところにあります。人のイデオロギーには敏感だが、自分にイデオロギーはなかなか自覚できないという話をしましたが、ちょっとそれと似たところがあります。何かを見ようと見つめれば見つめるほど、まわりは見えなくなるものなのかもしれません。

労働を取り巻く環境というのは、この意味では見えにくい、不可知・不可測であるが、とにかく存在(実存)する世界です。これまで

2 +  → 1

という技術だと考えてきたのに対し、地球温暖化の原因として二酸化炭素の排出が問題になり、

2 +  → 1 + CO20.1

というように技術が見なおされることはあるでしょう。これを埋めるためにはたとえば、

CO20.1 + 0.1 → 2

という技術で生産がなされればよさそうに見えます。いままで視野の外におかれてきた環境の一部が可知・可測な領域に移されるわけです。一見したところ、二酸化炭素の排出は抑えられたように思えるかもしれませんが、実はトリミングの範囲を拡大しただけで、二酸化炭素を吸収したことの環境に対する複雑な副作用まで視野に入っているわけではありません。産出された樹木の処理がもたらす影響も同様に考えられてはいないのです。二酸化炭素の削減と温暖化という関係だけが切り取られて合理的にコントロールできるかのように信じているとすれば、それはやはり一種のイデオロギーというほかないでしょう。

人間が「環境の保全」のつもりで、コントロールする領域を拡大することは、コントロールできない環境への影響を結果的に広げてしまう可能性が排除できません。環境は人間が「完全に」コントロールできる世界ではないのです。科学が発展してゆけば、やがては外部にいっさい影響を及ぼさない、廃棄物ゼロの閉じたカプセルのような世界をつくりだすことができるわけではないのです。またそこまでして、コントロール可能な生産の規模を拡大しないといけないと考えるのは、やはり一種のイデオロギーです。成長しないと死滅してまうかのような強迫観念は、それに囚われている人にはけっして見えないイデオロギーなのです。

人口問題

環境問題は人口問題と裏腹の関係にあります。拡大成長を当然視する資本主義のイデオロギーは、人口問題にも影を落とします。人口は等比級数的に増加するのに対して、生活物資は等差級数的にしか増加しないというマルサスに人口論のように、かつては人口増加が問題でしたが、旧先進資本主義諸国では逆に人口減少が懸念されています。今日の日本における「少子化」「老齢化」「人手不足」などは、おそらく第二次世界大戦が出生率に与えたショックとそ余波に起因する、その意味では短期の現象とみるべきでしょう。毎年の出生というフローが人口というストックに与える影響は、出生と出産の間にタイムラグがあるため、けっこう複雑な動態をつくりだすことは人口学 demography の教えるとおりです。一方の口から水が入り他方の口から水が出るタンクのような単純なフロー・ストックの関係とは異なるのです。

その点で、今日いわれる人口減少の懸念が、どこまで長期の動態なのかはわかりません。が、かりに、100年、200年という長期において人口が減少し続けるとしたら、それは長期的に是正するべき現象であるとは思えません。これは理論の問題ではなく、あくまでイデオロギーの問題ですが、私は受け容れるべき現象だと思います。私もいちおう人類の片割れに蔵しているようなので、人類という立場でものをみることしかできないのですが、もし仮に、他の動植物の視点からみれば、これは当然そうあってしかるべき現象でしょう。哺乳類の世界でヒトはあまりにも突出した個体数を占めているのです。いずれは何らかのかたちで、少なくとも増加しない状態にはいること、できればはやく減少に転じることが望まれるでしょう。ただ、人間(のイデオロギー)としては、その減少の過程が、餓死や捕食、災害死など、悲惨なすがたをとらないでほしいと、望むだけです。そしてまた、生活水準が向上すると、出生率が低下するという関係があるとすれば、この望ましい事態に合致するのです。

これはあくまで超長期の話です。短期の今の日本の現実についていっているのではありません。若者の貧困が結婚と集散を困難にしている事実があるとすれば、若者の貧困に対する対策は必要です。ただそれは、出生率を高め人口を維持するために必要な「手段」ではありません。貧困そのもの、若者の就業の不安定性、などの解決が「目的」なのであり、その結果、人口が増えなくてもやらなくてはならない対策です。これまでみてきたように、現代資本主義のもとでは、新自由主義の名のもとで、2000年代以降、高度成長期から培われてきた雇用のしくみが次々に壊されていったのですが、それが生みだした所得格差、資産格差は、市場によって自動的に調整されるようなものではありません。かつての福祉国家イデオロギーが中心に据えてきた積極的な所得再配分が必要なのかもしれません。こうした対策の一環として、老人に対する福祉の偏重を見なおし、若者に対する支援を厚くしゆくべきだという立場もあるでしょう。ただこれを「少子化対策」とよんでしまうことのイデオロギー性に気づく必要があると思います。

資本主義に縮小再生産は可能か

はじめに環境問題はイデオロギーと不可分なところがあると断りましたが、そのうえで私は超長期的には、人口が徐々に減少することを是認します。問題は、人口が減少する世界と、資本主義という経済システムが整合的かどうか、という問題になります。現場でもう少し説明しますが、結論的にいうと、“理論的にまったく不可能ではないが、実際にはかなりむずかしい”というのが私のさしあたりの回答です。問題は

  1. 資本主義がどのような原理に支えられているかという一般論を前提に

  2. もし人口が減少し続けると仮定したら

  3. 資本主義は存続することができるか

です。1.と2.の条件から3.の結論が導きだせるからどうか、「できる。なぜなら…だから。」「できる。なぜなら…だから。」という推論をやってみてください。2.や3.が望ましいとか望ましくないとかいう問題でありません。仮に2.だとすると3.はどうなるか、という客観的に考えてみてください。「現代資本主義論」と題しながら、「論」すなわち「理論」に偏ったこの講座の期末試験の問題としますので、どうなるのか、理屈っぽい講義を我慢してきいていだいたので、ここはぜひ理論的に答えてみてください。

…ということで、以下、略解です。大きく二つに分けて考えてみます。

  1. 生産力が上昇してゆくと、資本額のなかで賃金が占める比率は相対的に低落してゆくと考えると、賃金量は

    $資本額 \times \frac{賃金額}{資本額}$

    となります。資本額が増大してもそれ以上に後の比率が下落すれば賃金総額は減少します。もし賃金額が雇傭量に比例する(時給が変わらない)とすれば雇傭量も減少してゆきます。資本蓄積が急速に進み生産力が上昇しながら雇傭が収縮するという「窮乏化法則」が支配する『資本論』が想定してた資本主義ではこうなるのではないかと思います。人口が減らないとすれば、これは大量の失業者を生み、資本が生産力を高めようと競争する側面は維持されますが、社会的生産を組織するため大量の労働者を雇うという資本主義のもう一つの側面は壊れてしまいます。ただ、このときもし人口がどんどん減少してゆくなら、大量の失業者がでるという困難は緩和回避されるかもしれません。

    この点は、もっと極端なケースを考えてみると、次のような問題になります。もし、生産力が高まるなかでどんどん機械化が進み、かりに完全オートメーションが全産業で実現されたと仮定してます。あくまで仮定の話です。このとき、資本主義は経済システムとして維持できるのか。雇用労働ゼロの極限ですから、「多数の資本が大量の賃金労働者を雇って利潤追求競争を通じて結果的に社会的生産が調整維持される社会」という資本主義の定義からすでに外れてしまいますが、経済システムとして成りたたないかというと、簡単にありえないとはいえません。労働者の消費がないのだから、生産しても売れないのではないかと心配する人がいるかもしれませんが、資本家が自分たちの個人的消費にあてるか、あるいはさらなる蓄積にまわすかするわけで、理論上は需要不足の懸念はありません。あくまで極端な仮定の話ですが、完全オートーションのもとでは、資本主義の生産システムが原理的に成りたたないとはいえないように私には思えます。利潤の根拠は剰余価値であり、剰余価値は労働力商品の価値とそれが新たに形成する価値との差によるという『資本論』の定義からすれば、雇傭ゼロの世界では利潤もゼロとなりそうですが、そうはなりません。すごく原論的な問題になるので詳しくは小幡の教科書などみてください。

    いずれにせよ、『資本論』が想定していたような生産力が急速に上昇し雇傭が縮小する資本主義では、人口が減少しないことが問題を深刻化させるのであり、逆に人口が自然に減少するのであれば、資本主義の存続にプラスにはたらくことになりそうです。

  2. 問題は、生産力がこのようなかたちで上昇せず、人口の減少に応じて、社会的生産の規模を縮小してゆかなければならない状況に資本主義は耐えられるのか、です。つまり、縮小再生産型資本主義はありうるのか、という問題です。資本主義は基本的に拡大再生産の世界だと一般に信じられています。生産手段生産部門と消費資財生産部門の二部門で構成される『資本論』の再生産表式論も、「単純再生産」で基本原理を解説した後、「拡大再生産」の一般論を展開するかたちになっています。「縮小再生産」の図式はでてきません。「縮小再生産」が原理的に成りたたないからでしょうか。私は原理的には成りたつと考えています。

    なぜ成りたつと考えるかというと、それは(1)「利潤が発生する」ということと(2)「生産規模が拡大する」ということは別だからです。資本主義であるかぎり、「利潤が発生する」ことは絶対要件です。もしどの産業でも利潤があがらないなら、資本は生産に投じられないと考えてよいでしょう。しかし「利潤が発生する」とからなず「生産規模が拡大する」とはいえません。「利潤が蓄積される」と「生産規模が拡大する」ことになりますが、「利潤が蓄積されない」なら「生産規模が拡大しない」ことになります。単純再生産になります。さらに利潤以上に消費すれば再生産の規模は縮小します。縮小再生産は、別に生産力がどんどん低下して、利潤が減少するから生じるとはかぎりません。もちろん、リカードたちは、生産の拡大とともに優等地が減少し差額地代が増大して利潤がゼロになるところの単純再生産に陥ると考えたのですが、『資本論』のように生産力は上昇し続け利潤が増大するとしても、それ以上に消費が増えれば縮小再生産にはいることもあるわけです。『資本論』は資本家の蓄積衝動を当然のこととしています。個人企業で考えると難しそうですが、たとえば株式会社を考えてみて、利益は十分上がっているが、それ以上に配当にまわせば、高利潤をあげながら会社の規模は小さくなってゆくはずです。

    こうして、生産規模が縮小しながら、資本主義が持続するというのは、「現実に」ありうるかとえば、可能性はきわめて低いと思うのですが、他方、理論的には不可能な事態ではない、というのが私の回答になります。

    本文で述べましたが、現代資本主義のおける「少子化」「人口減」は短期(といっても第二次大戦の余波の及ぶ機関)の要因によるところが多いと思うのですが、100年200年の長期で考えれば、ヒトの個体数は減少せざるを得ない(させざるを得ない)でしょう。こうした長期を考えれば、かりに資本主義が人口減少を必ずしも背反しなくも、別の理由で資本主義が別の経済社会のシステムに変わる可能性が高いでしょう。

世田谷市民大学2024第5講


技術の深化:情報通信技術の意味

はじめに

前回は、現代資本主義における労働の変容と拡大について考えてみました。労働とよばれてきたものの内容が大きく変化し境界線が拡張されている現実を捉えるには、人間に特徴的な合目的的活動という根本に立ちかえり、それを構成する諸契機を分析し組み立てなおす必要があるという話をしました。数量化された後の世界をもっぱら対象としてきた既存の経済学の理論では扱いにくい構造変化ですが、これを与件として理論の外に押しだすのではなく、迂遠なようでも変容の基本原理を扱いうる方向に理論のほうをつくりかえてゆくべきだと考え、私なりにいろいろ試してきたのですが、いまだ道半ばです。

こうした変容を理論的に考えようとするとき、技術は資本主義の構造変化を引きおこす要因の代表です。第1講でふれた例の唯物史観の公式では、生産様式の転換を促す要因として生産力の上昇があげられていました。この場合、生産力は連続的な量的変化であり、これがある極値に達すると生産様式の不連続な質的変化を引きおこすという対比になっていました。外部の変化が内部の変化を引きおこすという説明のしかたはたしかにそうなのですが、資本主義そのものの歴史的発展に目を向けてみると、この要因は生産力一般というより明確に技術といったほうがよいように思われます。そして技術という観点から捉えかえすと、それが、生産力のように量的に漸増するものではなく、それ自身、独自の構造をもち、不連続に発展する性質をもっていることがわかります。この講義のテーマは現代資本主義でしたし、この「現代」が何かは第2講でお話ししました。この現代資本主義を規定している一つの大きな要因は、情報通信技術における不連続な発展です。ということで、今回はこの情報通信技術の革新が、今日の資本主義に与えたインパクトについて考えてみたいと思います。

そのため、またかと思われるかもしれませんが、(1)最初に、技術とはそもそも何か、という原理的な問題について考えてみます。(2)次に、情報通信技術とはどのような特徴をもつ技術なのか、歴史を遡って生産技術一般との性格の違いを明らかにしたいと思います。インターネットとコンピュータサイエンスのもつ特殊性にも踏みこんでみたいと思います。(3)最後に、とくに2020年代にはいって、急激な発展を遂げた技術、生成AIのもつ意味について論じてみたいと思います。まだ未知なところが多いのですが、厳密な学問領域での講義とは性格が違いますから、私が実際に利用してみて“こういうことになるのかな”と感じたあたりをそのままお話ししてみます。

技術とは

言葉の問題

この項は読み飛ばしてもかまいませんが、この講義でいちばんお伝えしたい点です。ということで…

“技術が現代資本主義の変容を引きおこしているという場合の、その技術とはいったい何なのでしょうか?”と尋ねると、技術という言葉の意味をきかれているのだなと思い、すぐに辞書をひく人がいます。「物事を取り扱ったり処理したりする際の方法や手段。また、それを行うわざ。」とか書いてあります。「…たり…たり」とか「または」とか「の一種」とか、とにかく辞書はぼかすことが得意で、挙げ句の果ては類語を並べて「…のようなもの」とゴマ化します。多少とも理論をやる人間なら“こりゃダメだ”とすぐにすぐに破り捨てたくなるような代物ばかりです。

ちゃんとした推論をするためには、技術でないものとの間に明確な境界線が引けるような定義を与えないといけないのです。この「でない」という否定形が使えることが、理論たるための必須要件です。「Xが技術である」が真なら「Xが技術でない」は偽にならないと、論理的な推論ができないからです。これを排中律 law of exclude middle といいます。平行線の公理を公理と認めない非ユークリッド幾何学があるように、実はこれを認めない論理学もあるにはあるのですが、そうすることの効果が明らかでないかぎり、排中律はやはり守るべきルールです。技術であるようなないような、そういう中間的な存在を許すと厳密な推論はむずかしくなります。自然科学に比して、経済学をはじめ、社会科学の場合、学問的な用語の定義を与えずに、日常の言葉づかいをなんとなく援用してきたところに根本的な問題があるように私は思っています。

とはいえ、人間の社会現象を扱うとなると、日常の言語活動と隔絶した別空間を設定して、その内部で厳密な推論ができればよいと簡単にすませぬこともたしかです。技術か、技術でないか、の間に不変の一本の境界線を引こうとしても無理です。なぜなら、技術ということが指そうとしている「何か」が不動不変なものではなく、歴史的に姿を変えてくるかです。アルキメデスの時代の「重さ」が指す対象が歴史的に発展するといったことはないでしょう。変わったとすれば、それは「重さ」そのものではなく「重さ」に対する認識でしょう。ところが「技術」のような社会現象となるとこうはいいきれないのです。対象が変わるから、それを含めようとすると「…たり…たり」となってしまうのです。困りましたね。

というわけで、「技術」のように不変不動の境界線で区切るのがむずかしい言葉を、理論的な推論に使えるようにするなにかよい手はないものか?…ということで、私がよく使う手を紹介しましょう。それは「対概念」をたてるという方法です。明度0パーセントの黒に対する明度100パーセントの白です。間には無数の灰色があり、一本の境界線では区切れません。じゃ、境界線が引けないから、世の中すべて灰色、黒とか白という概念は存在しない、といえるかいえばそうではありません。両極にはちゃんと純粋な黒と白が存在するのです。…って、むずかしい、と思う人は、そんなものか、ともかく、辞書をひいてハイ終わり、じゃすまないがなんとなくわかればOKです。

ただこういうと、よく誤解されることがあるのでちょっとだけ注意しておきます。“簡単な辞書じゃダメ、そりゃそうだ、だったら、もっといろいろ技術について書いてある権威ある書物をようなくっちゃ”と万巻の書物を猟歩しようとする人がいます。根が真面目なのでしょう、でも、アリストテレスによれば…であり、マルクスによれば…であり、などと、依存症は悪化の一途をたどるばかり、そうではなく、自分のアタマでシンプルに定義すること、そしてこの定義にしたがって、その言葉を一貫して使うこと、これが論理的に考えるための第一歩だ、と私は信じています。

熟練と技術

ということで、さて「技術」の正反対の言葉は何でしょうか。「技術」の対極に位置する概念です。それは熟練でしょう。もしふんだん使う「熟練」という言葉が名人芸のような特殊な業をイメージさせるなら、もう少しハードルをさげて「技能」とか、カタカナ語であやふやに膨らまして「スキル」とか、いろいろ言い換えてみてください。肝心なのはこうしたふだん使う言葉の背後に共通する中味のほうです。「技術」対「熟練」…というセットを生みだす「対」のほうが問題なのです。そこには対極的な性格を与える決定的な一要素があるはずです。この判別基準を示せば、両方がセットで定義されるわけです。何が両者を分けているのでしょうか。

ひと言でいえば、“だれにでもできるかどうか”でしょう。だれにでもできるようになっていれば、そこには「技術」があるといい、特定の人たちにしかできなければ「熟練」がいる、というのです。カギを回せばだれでも開けられるドアは「技術」の成果ですが、カギをなくしたときドアを開けるには錠前屋さんの「熟練」がいるのです。自動車のアクセルはだれが踏んでもエンジンの回転数はあがりますから、この操作は「技術」が支配しています。しかし、だれでも自動車が運転できるかというとそうはゆきません。一定の練習をしたあとでないと危なくてしょうがないでしょう。運転・操縦には「熟練」が必要なのです。「技術」と「熟練」は、概念としてはっきり区別することはできますが、現実には両者は結びついており、その境界は基本的に「熟練」の領域が「技術」の領域に取りこまれてゆく方向にシフトしてゆきます。

ただ注意する必要があるのは、これは「熟練」が消滅するということを意味しません。前回「労働とは」ということで、労働の概念を見なおし、ただ与えられた手段を操作する活動だけではなく、目的を設定し、手段を組み立てるという目的意識的活動全体を覆う内容に拡張しておきました。このような拡張において、未知の何かを手探りで探し求めることになるわけで、「技術」に還元できない「熟練」がつねに必要となるわけです。人間労働には本質的にスキルが要素として含まれているのであり、そうしたものをすべて取りさった「単純労働」こそが「本来の労働力」で、これに後から「熟練」が追加されるのだというマルクス経済学の通説は捨てるべきです。こうすることで、「熟練」が一方で「技術」に侵食されながら、他方で新たなかたちで絶えず生成されてゆく関係が浮かびあがってきます。こうした変わりゆく技術と熟練の動態こそが、資本主義の変容の基底をなすのです。こうした関係のうちに現代資本主義の特徴の一端も、技術の発展と労働の変容として、はじめて理論的に捉えることができるのです。

科学と技術

例によって抽象的な議論ばかりが続くので“いい加減勘弁して”という声が聞こえそうですが、もう一点だけ付け加えさせてください。この後述べる「情報通信技術」を理解するうえで必要なことです。

いま技術の本質を“だれがやっても同じ結果になる”点に求めました。これは「客観性がある」「確定的である」と言い換えてもいいでしょう。これは科学の基本要件です。ちょっと古めかしい言い方になるかもしれませんが、昔、宇野弘蔵がよく「何人たりとも疑い得ない」ものがあり、「マルクス経済学」も社会科学としてこの客観的な法則を明らかにするものだとよくいっていました。その意味で特定の価値観を積極的に表明する「マルクス主義」とは違うというのです。前回「はじめに」でふれたように、私は若いころ、この科学とイデオロギーの峻別論に対して最初は違和感を覚えたのですが、大学教師を何十年もやっているうちに、いつの間にか同じようなことをいうようになっていたのでした。とはいえ、これとはちょっと別の意味で、「科学」あるいは「理論」のもつ「客観性」「確定性」を宇野弘蔵のようにストレートに信じることには、やはりちょっと躊躇を覚えます。それは「科学」と「技術」の関係にも表れてきます。

“だれがやっても同じ結果になる”という客観性は、論理的必然性があると言い換えてもよいでしょう。ピッタリ同じではないかもしれませんが、もしズレなら、後のほうの論理的必然性のほうが強くって、その結果が客観性となって現れると考えてよいでしょう。力と加速度の関係を表す運動方程式 f = ma は、君には当てはまるが僕には通用しないなどとだれもいえない客観法則であり、この一般理論に基づいて、たとえば振り子には、いって戻ってくる時間が揺れ幅に関係なく一定であるという客観性が説明されるわけです。とはいえ、実際の振り子の周期をちゃんと測ってみると理論値からのズレが観測されるものです。ピッタリ理論どおりにはゆかないけれども、しかし、およそ理論どおりの値になる、その意味で客観性というものは存在するわけです。

ピッタリになるのは数学の世界です。どこまでいっても交わらない平行線の公理を認めれば「三角形の内角の和は180度になる」という定理はつねに成りたちます。例外なき論理必然性です。ところが、実際に直角三角や二等辺三角や潰れたのや尖ったのや、いろんな三角形を紙に書いて分度器で測って合計すると180度からズレてくるでしょう。五感でわかる世界、知覚可能な世界では、数学や理論物理学のような論理必然性はそのまま通用することはありません。しかし、ほぼほぼそれが当てはまる、という意味での客観性は保証されているので、こちらは「必然性」に対して「蓋然性」というようです。真か偽か、1か0か、が必然性であるとすれば、180度から前後1度のズレに99パーセントが収まるというのが蓋然性です。蓋然性は英語の probablity の訳でこれは確率とも訳されます。

ちょっと回りくどい話をしてしまいましたが、要するに一口に「客観性」といっても「必然性」と「蓋然性」があるわけで、「科学」が対象としているのが「客観性」であるのに対して「技術」が対象としているのは「蓋然性」のほうなのです。「科学技術」といいますが、基本は確率的にズレを含んだ現象を、目的に沿って、モノとモノの関係としてコントロールするところに技術の本質があり、このズレを人間の知覚を通じてコントロールするのが熟練の本質がある,ということになるわけです。その意味で“何人たりとも疑い得ない”という宇野の「科学」と、“およそそのくらい”という「技術」はやはり別物だと考えるべきなのです。

そして、ここが肝心なのですが、この誤差をともなう蓋然性の世界を客観的に分析する方法が20世紀の後半に大きな発展をみたのです。確率論を基礎におく数理統計学であり、これにコンピュータサイエンスが物理装置的にバックアップするようになったわけです。これが第2節でお話しする情報通信技術の一方の流れ、すなわち情報処理技術の革新だったのです。このあともう少し具体的な説明をしてゆきますので、まだ抽象的な一般論ですが、必然性と蓋然性の問題はアタマの片隅にちょっとメモしておいてください。

熟練の分析

以上のように「技術」の発展は「科学」の進歩を一つの源泉とするのですが、そればかりではありません。もう一つ、人間の労働が獲得する「熟練」の分析という源泉があります。人間の合目的的活動では、ぼんやりした欲求を実現可能なはっきりした目的にまとめ、目的実現のための手順をきめ、目的に向けて手段を操作する必要がありました。とりわけ、三番目の操作においては人間の身体が重要な役割を果たします。すでに述べたように、身体は単なる動力という意味ではありません。感覚器官を具え、状況に応じて、手足を動かし、声や目線で合図をおくたっりできる身体機能です。ふつうの人にはできないことができるという「熟練」は、この身体コントロールの能力にあるといってよいでしょう。

目でみた状態や音や匂いを総合して中華鍋を振りつつ調味料を加えるタイミングをはかるプロの料理人の動作を想起してみてください。料理一品が完成するまでの過程を観察し、それを全部隈無く記述しようとしたらけっこう面倒なことになります。しかし、複雑な作業も客観的に観察すれば、そのうちには繰り返される単純な動作もあれば、きまったタイミングでおこなわれる動作もあり、そうした要素や契機が分析できれば、合理的に組み立てなおすことができます。センサーとアクチュエータを具えたロボットでこれを再現することも可能かもしれません。しかし、一つ一つの料理に限定すれば、熟練に頼らずにある程度同じような料理を作ることができます。炊飯器とかホームベーカリーとか、マイコン制御の調理器はたくさんあります。

資本主義の歴史を振りかえってみると、人間の身体活動の分析から生みだされた道具や機械が重要な役割を果たしてきました。第1回目に「農業資本主義」の話をしました。産業革命に先立って、大規模農業において、地主、資本家、賃労働者からなる資本主義的生産が成立したという議論でした。そうかもしれません。ただ、多くの人が思うように、資本主義が資本主義らしい発展をするには、農業だけではなく工業に軸足を移す必要があったといってよいでしょう。農業に対する工業 industry という用語にはいろいろ問題があるので、正確にいえば製造業 manufacturing です。つまり、ここでは人間の「手」に象徴される作業で何かを「つくる」産業です。

産業革命の核心は、このマニュアルレーバーの熟練を分析し、それを機械装置に置き換えたところにありました。たしかに、それには蒸気機関のような動力機も重要な要因でしたが、資本主義という経済構造に決定的だったのは、人間の労働能力に直接影響する作業機の革新でした。糸車に紡錘を取り付けて繊維に縒りをかける手作業を分析し、それを紡績機に移すことで熟練を技術に置き換えていったのです。この機械化による熟練の解体が『資本論』では、工場制手工業を機械制大工業が凌駕する様子が、資本主義的生産の確立の過程として描かれていますが、そのメルクマールは自動機械による手工業的熟練の解体でした。

ただ、熟練の解体は必ずしも自動機械によるとはかぎりません。『資本論』では繊維産業の川上をなす紡績、織布における自動装置のみがクローズアップされすぎているように思われます。前回も述べたように川下の縫製はミシンを使ったとしてもそれを操縦する労働が大量に必要とされたのです。

熟練の解体は自動機械によるものばかりではありません。手作業を細分化し作業場内分業として再編成することによっても可能になります。かつてテーラー・システムに対する批判的研究がマルクス経済学では多くみられました。作業分析 motion studies によって労働者の個々の作業を計測し最適な作業時間を割り出し、一人の熟練労働を多数の不熟練労働によって実現し賃金コストを削減する「科学的管理法」は、機械化と異なるかたちで熟練を分解し再組織化するものでした。この意味では「技術」は物的な機械装置によるだけではなく、労働組織の編成という無形の技術としても開発されたのです。このことは、コンピュータによる労働の合理化を考えるうえでも重要に意味をもつと思います。

情報通信技術の特徴

大量生産の技術

情報通信技術の発達は現代資本主義を特徴づける一つの重要な契機となっています。ただこの技術は、これまで資本主義の発展を牽引してきた技術とは明らかに性格を異にしているようにみえます。このことは、資本主義のもとでの技術の歴史をザッと通観してみれば明らかでしょう。

産業革命以来の技術の中心は、モノの加工に関わるものでした。その代表は動植物の繊維のようなモノの形状を変えるものが中心でした。そこでは、回転運動を中心にそれを複雑な往復反復動作に変換することで、同一の製品を(半)自動的に大量につくりだす性質をもっていました。19世紀のマンチェスターを「世界の工場」に押し上げたような軽工業型の製造業の技術です。ただこの場合注意すべきは、前項でふれたように、加工系列の全体が一挙に自動機械化されたのではない点です。糸や布のような素材が大量生産される一方で、それを最終的に消費する衣服に加工するところでは手作業を必要としていました。縫製も一種の組み立て作業と見なせば、川上での大量生産が労働力を排出する一方で、川下での組み立てアセンブリがそれ以上の労働力を吸収する構造になっていたのです。

19世紀末以降になると、これとは少し別系統に属する技術が台頭してきます。巨大な装置のなかで熱化学反応を引きおこし新たな物質素材を大量に生産する重化学工業型の技術です。鉄鋼や化学肥料などからはじまり、多種多様なの石油製品プラスティックや合成繊維などの素材が大量生産されるようになったのです。この場合も、生産系列全体では、川上における新素材の大量生産は、川下におけるさまざまな組み立てアセンブリを広げるかたちになっていました。大量に生産される鉄鋼をそのまま消費するわけにはゆきません。たとえば鋼板鋼材を素材として鉄道やビルなどの構造物を建設したり大砲拳銃のような武器を生産したりする必要があったわけです。第一次世界大戦を引きおこしていった帝国主義的な資本主義経済の底流にこうした重化学工業化があることは、当時のマルクス経済学者が指摘した通りでしょう。

第一次大戦後になると、こうした重化学工業で大量生産された素材の消費の民生化が進みます。自動車産業がその典型です。フォードの組立工場をみればわかりますが、これは手作業ベースの流れ作業による部品組み立てです。大量生産された布を衣服に「組み立てる」のに大量の手先の労働が必要であったように、大量の鋼板を自動車にするには多くの人手が必要だったのです。20世紀には、自動車にかぎらず、さまざまな素材を組合せて新種の日用品を生産するタイプの大量生産方式が広範に普及していったのです。戦後の日本の高度成長の時代に目撃した現実がすぐに思い浮かぶと思います。もう覚えている人はいないかもしれませんが「3C」などといって、ほぼ同じ機能をもった製品の値段をどんどん下げて消費を拡大する技術で成長したのです。値段を下げながらあれこれ新機能を付け足されたのですが、これはたいていは見せかけの機能で、高度成長が終わっり値段を下げられなくなった時代に、なおこうした新機能の個別的特化のみを追求し続けたその成れの果てがケイタイの「ガラパゴス化」だったのではないでしょうか。

最後の点はともかく、これまでの資本主義の技術の基本は、川上における加工素材の自動的な大量生産と川下における人手による組立型大量生産であり、上流における労働力の排出を下流における労働力の吸収でバランスさせる構造をもっていました。現代資本主義における技術の問題は、この基本構造が大きく変わってしまったことにあります。

組立の自動化

第二次大戦後、ベルトコンベアにそって人間の手作業で組立ててきたような現場にも多くの機械が導入されるようになります。フォークリフトがはいったり電動工具が普及したりして、素材に直接手を触れることは少なくなり、力仕事もみられなくなります。しかし、それらの機械は相変わらず人間が操縦操作するタイプのものでした。オートメーションといっても部分的な過程であり、過程が高速になればそれだけ、過程と過程をつなぐ局面では人手も多く必要とするものでした。

ところがこの関係が大きく崩れることになります。第2講で「現代資本主義」の「現代」を、わかりやすくするために、第一に1973年以降、もう少し絞って第二に1997年以降、といったのですが、この「現代」がはじまる1970年代になると、徐々にですが、コンピュータが生産過程に導入されてきました。オートメーションの基本は自動制御ですが、当初の制御装置は、たとえば蒸気機関の圧力弁やバイメタルのような物理的な仕掛けで、蒸気の圧縮・放出とか、電流の開通・遮断とか、といった切り替えを実現するものでした。こうした装置は、目的の応じた形状・機能に特化するかたちで高度なものが開発されてきました。これに対して、制御装置としてのコンピュータは汎用性を強くもつものでした。同じハードウェアでもプログラムを変えることでさまざまな目的に利用できる特徴をもっていたのです。物的装置と機能とが切り離せなかった従来の制御装置とは決定的に異なるものでした。

私と同じ頃大学を卒業して計器会社に就職した友人にきいたのですが、半年ほど製鉄会社に出向してやった仕事が、溶鉱炉のコンピュータによる制御で、今まで炉内の温度を調べながら最後は溶けた鉄の色などまでみて、熟練工がやっていた仕事をコンピュータにやらせるようなことだといっていたのを思いだしました。50年以上前の記憶なので違っているかもしれませんが。パンを焼くホームベーカリーという調理器具があります。粉をこねて寝かせ、イーストを入れて発酵させ、釜の温度を調整して焼き上げたりするのをマイコン micro computer で制御するのです。別のときに、溶鉱炉もホームベーカリーと似たようなものだろう、といったら、友人曰く“似てると同じは違うんだ。規模が大きくなると、制御の困難は指数的に増大するのだ。君は理論ばかりやっているから、必然性と蓋然性の違いに疎いのだ。数学では要素が2でも3でも…nでも等比級数の和は同じ一つの公式で求まる。だけれど、確率的な誤差を伴う世界では、要素が大きくなると誤差が誤差を生んで制御できなくなることもあるのだ。これが技術の世界さ。”といわれて“フムフム”と納得した覚えがあります。実際、コンピュータのプログラムを書いてみると、たとえば配列のサイズを10個にしてテストするとうまく動くのに、1000個に増やすと思う結果が得られないといったことがでてきます。銀行の送金システムが遅れたり駅で交通系カードが使えなくなったりするトラブルをみると、そんなに複雑なことをやっているわけでもないのに何で…という気がするのですが、10人しか利用しないシステムならバグはすぐにわかっても、何万人も使うシステムには固有の困難があるのでしょう。

産業用には当初、プログラムを一度書き込んだら変更できないタイプのマイコンが装着されることが多かったようですが、やがてプログラムを書き換えることでさまざまな仕事をさせることができる汎用型の小型コンピュータも普及してきます。私がこの種のいわゆるパソコンをはじめて買ったのは1982年の夏、最初のボーナスをもらったときでした。スイッチを入れても、Basic というコンピュータ言語のプロンプトが表示されるだけで、フロッピーディスクから別にCPMとかMSDOSとかいったOSを立ち上げ、そのうえではじめてワープロソフトや表計算ソフトが利用できるような代物でしたが、ともかく同じ装置でいろいろなことができるのだ、と実感しました。あれから40年あまり、毎日コンピュータをつかう生活を続け、端からずっと観察してきたコンピュータサイエンスについて語るとキリがありませんが、こうした汎用コンピュータが生産の現場に導入され、さらにUnixのようなネットワーク指向のOSによって個々のコンピュータが一つのシステムに統合され、工場全体が制御されるようにもなっていったわけです。いささか不正確なのところもありますが、ここではそういうコマイ話は端折ることにします。

要するに。こうしたコンピュータの導入は、センサやアクチュエータといった工学の発展にも支えられて、産業革命以来ずっと労働力を吸収してきた人間の身体能力に依存した組立型の労働を最終的に解体し自動化することが、ほぼほぼ可能になったのです。まだ工場の外にでれば、自動車の運転とかビルの建設とか、操作操縦型の労働は不可欠ですし、そもそも大量生産に向かない一品物の製作はつねに存在します。しかし、資本主義の基本的な労働の世界では手先の熟練はほぼ解体されたといってよいでしょう。

… と1992年に「コンピュータと労働」という論文で書いてしまったのですが浅はかでした。1995年、当時勤めていた経済学部のメンバーで中国を訪れる機会があったのですが、長江下りをしているとき、桟橋を天秤棒を担いでエッサエッサと石炭か何かを運ぶ労働者たちの列を間近にみたり、また別の機会にですが、中国の工場見学(といってもなかなか現場をみる機会はなかったのですが)をしたりして、日本国内のことしか自分は考えてこなかったのではないか、と大いに反省したのです。そう思ってみると、この時期、工場のなかからどんどん人がいなくなるようにみえたのは、実は新興諸国に組立型労働がシフトしたからだったのではないか、少なくともコンピュータの導入だけが決定的な原因だったわけではなかろう、と思うようになりました。第2講で「グローバリズムの底流」をなすのは新興資本主義諸国の台頭だという話をしたと思うのですが、あれは一つにはこのような反省の結果だったのです。

情報通信技術とは

例によって序論が長くなってしまい、なかなか肝心なところにたどりつけないのですが、時間がないので、あとは簡単に粗筋だけを書いておき、現場ではこちらに時間をとるようにします。

ポイントは、産業革命以来の生産技術の発達とはまったく別系列の独自の技術だという点です。コンピュータの導入は自動制御による生産管理をほぼ完成させましたが、コンピュータサイエンスとインターネットを核にする今日の情報通信技術のいわば副産物と考えるべきでしょう。このことは、情報通信技術の歴史を通観すればわかります。またいわせてもらえば、「そもそも情報通信技術とは」という話になるのですが、これも要点のみ話します。

まず押さえておく必要があるのは、今日いうところの「情報通信技術」は「情報技術」と「通信技術」が結合したものです。逆にいえば「情報技術」と「通信技術」は別々に別の経路で発展したもので、それがコンピュータの登場ではじめて結合したといえるのです。

通信技術の歴史

通信は英語でいえば communication です。日本語で「コミュニケーション」といえば、お互いに意志を疎通することを意味するでしょうが、そんなものにだれがやっても同じ結果になる技術などあろうはずがありません。ただ、日本語における「通信」ならだれがやっても同じ効果を生む技術がたしかにあります。直接赴いて対面で話す代わりに郵便で通信するというのも立派な技術です。この技術は住所という「制度」が技術の重要な要素となっています。これだけでも生産技術との違いは明らかでしょう。

他方、印刷技術の発展は、雑誌新聞という不特定多数に同じ情報を伝えるマスコミュニケーションを登場させることになります。郵便からはじまって、電信、電話などの電気通信が発達すると同時に、無線通信はマスコミュニケーションの領域を取り込み、新聞雑誌と競うことになります。今日の情報通信技術が登場するまえに、こうした通信技術の独自の発展があったことは、インターネットの新奇性のみに目を奪われぬた目にも重要なポイントになるでしょう。

情報技術の歴史

情報技術は情報処理技術のことで、この処理の基本にあるのは計算です。計算はアタマのなかでやるものと思いがちですが、指を使って足したりひいたりすることからはじめて、指の代わりにモノを使ってやったりするわけで、そうした計算の道具としてソロバンなどがでてくるわけです。こうした道具を使いこなしに熟練はいるでしょうが、ともかくだれがやってもソロバン玉の動きが違うわけではないという意味では技術がそこに現れるわけです。

計算の目的は、モノの量的な管理です。生産の場でもどれだけの原材料でどれだけのモノが生産できるかといった管理は重要ですが、とりわけ、商品売買においては利益を計算し資産の状態を把握するうえで計算は必須となります。江戸時代の商業労働者に求められたのは「読み書き算盤」でした。コンピュータはもともと電子計算機とよばれた時代もあったわけで、その出自は計算機です。

そこでちょっと質問してみます。ソロバンと電卓はどこが違うのでしょうか。モノの状態で離散的な数を表現し、その状態を変化させることで、いわばモノに計算させるという意味では、ソロバンだって電卓と変わりありません。もし、決定的な違いがあるとすれば、モノがソロバン玉ではなく、電荷のオンオフという二進法がベースになった点でしょう。電荷だって10段階に分けて10進法に対応させるということも考えられそうですが、こんな途を歩んだら、単純で高速で汎用的な計算機にはならなかったでしょう。実際、C.バベッジの構想した差分計算機では歯車のような機構で10進法を物理的に実現しようとしていたようです。ソロバンではなく計算尺という道具もありました。これは数を連続的なアナログ量で表現する装置であり、ソロバンのほうが曲がりなりにもデジタル量の計算である点で電卓に近いのかもしれません。要するに、電卓のレベルで、電荷で0/1
型の2進法の計算が導入されたわけです。

コンピュータとは

では、電卓とコンピュータはどこが違うのでしょうか。記憶装置
メモリに値を保存できるというだけなら、電卓だって具やっています。違うのは、処理する値だけではなく、処理する手順方法もメモリ上におくことで、一連の処理を自動的に進めることができる点でしょう。電卓で(3 + 4) × (5 + 6)を計算するとき、計算の順序は計算する人間が考えて進めなくてはなりませんが、コンピュータではa = 3 + 4, b = 5 + 6, a + bという手順をインプットすることで、人手を介さず自動的に計算できます。メモリ上にプログラムをおくことは、もう一つ、重要な違いをもたらします。それは条件分岐です。計算の結果をメモリにおくことで、値の大小によって次の処理先を変えることができるのです。

この条件分岐ができるということが、電子計算機が単なる計算機をこえて情報処理装置が変身しえた根本です。文字で記録されたデータも、文字も数値と一対一に対応させれば計算可能な値で表せます。これによって、アイウエオ順に文字列を並べ替えたり検索したりすることが可能になるわけです。文字も音声も画像も、一定のルール プロトコルを定めれば、すべて二進法のデータとしてオンオフで処理することができるようになるわけです。もう少し具体的にお話ししないといけないのでしょうが、キリがないのでやめておきます。いずれにせよ、単なる数値計算をやる装置が、あらゆる情報をデジタル形式のデータに対応させ処理する能力を獲得するにいたったことは、ちょっと不思議です。計算機を考えた人が、このようなかたちで情報処理機になることまでは予想していなかったのではないでしょうか。技術の進歩というのは、どこか意図せざる結果につながるところがあるのではないかと思います。まったく余談ですが、私も論文を書いていて始め意図したことと違う結論になってしまうことが間々あります。ここだけの話ですが….

コンピュータはさらに、計算機をこえたデータ処理装置となると同時に、電気通信のための装置となってゆきます。コンピュータの内部では、メモリとCPUの間でデータの移動がおこなわれるのですが、これが一種の電気通信になっているわけです。コンピュータはキーボード、ディスプレイ、ハードディスクなどさまざまな外部装置とデータのやり取りをおこないますが、これもオンオフ型のデジタルデータによる通信です。ということは、異なるCPUに統括されたコンピュータの間でも基本的に電気通信でデータのやり取りをすることが可能なはずです。原理的には…ということで、コンピュータとコンピュータを結ぶ電気通信の世界が広がるわけです。電話やラジオ・テレビなどと同じ電気通信装置という性格ももちうるわけです。このコンピュータ通信の仕組みはいろいろありうるのですが、今日それがTCP/IPでアドレスを指定するインターネットのかたちで定着したといってよいでしょう。

要するに、別系統で発展してきた通信技術と計算技術がコンピュータの登場で結合し、今日の情報通信技術が誕生したというのが結論です。そして、この点を強調しておきますが、これはまた、産業革命以降一貫して進んできた、手先の労働の自動化の技術とは別系統の技術だったのです。このように鳥瞰することで、細かなあれやこれやに惑わされることがなく、現代異本主義を特徴づける技術の本質を捉えることができると思います。

コンピュータと労働

さて、このようなコンピュータを中心とした情報通信技術の登場は、資本主義経済に対してどのような変容をもたらしたのでしょうか、あるいはもたらそうとしているのでしょうか。

第一の影響は、組立作業に代表されるマニュアルレーバーの解体消滅です。生産過程に導入されたコンピュータによる自動化の効果は決定的でした。こうして工場における労働が排出されたわけですが、これを労働の消滅だと勘違いしてはなりません。第4講で労働の構造を三つの契機に分けてみたのですが、分解されたのは第三の目的に向かって手段を操作操縦するマニュアルレーバーだったのであり、こうして排除された労働は、目的を定めるという第一の契機や、手段を組み立てるという第二の契機に移っていったと考えられるのです。広い意味での商業労働であり、これはもっと広い意味になりますが手順を考案するプログラミングの労働へのシフトです。

第二の影響は、こうした新たな労働の場におけるコンピュータの利用です。マニュファルレーバーの解体にはかれこれ300年くらいかかったといってよいのですが、それによって排除された労働が今日に直面しているのは、いわばアタマとココロを対象とする労働です。コンピュータを中心とする情報通信技術は、人間労働の第二のフェーズの手段を与えるものなのです。他人の欲求を明確な目的に定式化する基礎には通信技術があり、手段を合理的に組み立てる基礎には情報処理技術が欠かせません。

問題はこのような情報通信技術の発達は、やはり人間の労働をここでも分解し消滅させることになるのか、です。コンピュータが労働の第三の契機であるマニュアルレーバーの解体をほぼ完成させたということは、コンピュータが第一の目的設定や第二の手順の設計という契機に対しても、同じような解体作用を発揮するということと同義ではありません。これはコンピュータは道具か機械かと問うてみればわかります。機械装置に取り付けられたコンピュータは機械の一部ですが、それによって駆逐された労働者が使うコンピュータは機械というよりは道具の性質を強くもっています。人間がはたらきかけないとそれ自体は作動しません。端末があれば操作する人が必要なのであり、ひどく労働吸収的な道具です。ミシンがマシンを名のりながら、一台一台労働者を必要としたのと似ています。かつて自動機械の登場によって川上の素材生産から駆逐された労働者が、川下でこの半機械半道具の操作操縦に吸収されたように、労働の第三の契機から駆逐された労働は、現在、、労働の第一第二の契機のフェーズにシフトしており、そこではコンピュータという道具を使うことで、アタマの労働を対象とした分解がはじまったと考えることができます。このフェーズの分解には、マニュアルレーバーの解体が要した以上の時間がかかるかもしれません。ただ、このような第二のフェーズのはじまりが、この講義で考えている現代資本主義を特徴づけていることはたしかでしょう。

生成AIの衝撃

予期せぬ出来事

…というのが、数年前までの私の考えでした。しかし、いま、このように考えてよいのかどうか、生成AIを使うなかで、疑問に思うことが多くなりました。“コンピュータがそう簡単に複雑な人間の欲求の世界を理解することはできないだろう”“プログラマーがプログラムを書かなくてもコンピュータが自分でプログラムを書いて動くとしたら、それはコンピュータの暴走だ”“コンピュータが自分で問題をだして自分で答えたとしても、そんなものは人間にとって意味をもたないだろう”と高をくくっていたのですが、簡単にこういってよいかどうか、けっこう迷っています。

生成AIの「理解」

どういうことか、実例を挙げてみます。

chatGTPに次のように尋ねてみました。

技術と熟練とが対概念になるように定義してみてください。技術の本質は何であり、熟練の本質は何であり、それ故、技術であれば熟練にはならず、熟練であれば技術にならない、というような対概念にしてください。

するとつぎのような回答がかえってきました。

「技術」と「熟練」を対概念として定義するためには、それぞれの本質を明確にし、それが互いに補完しつつも対立する性質を持つように解釈する必要があります。以下に、その定義を試みます。

●技術の本質

技術は、普遍的で体系化された知識や方法論、またはそれらを適用する能力を指します。技術は再現性を重視し、一般的には誰でも学べるように形式化されており、知識やスキルを習得すれば同じ結果を得られることを目指します。技術の本質は「方法の普遍性」にあります。例えば、機械設計におけるCADツールの使用方法やプログラミングにおける特定のアルゴリズムの実装手法などは技術にあたります。これらは、個人の経験に依存せず、知識の伝達によって多くの人が共有し得るものです。

●熟練の本質

熟練は、経験に基づく直観的な判断力や特定の状況での反射的な応用力を指し、個々の経験や長年の繰り返しによって得られる「個別の知恵」や「身体的感覚」の域に入ります。熟練の本質は「経験の蓄積」と「状況の文脈に依存する判断」にあります。例えば、大工が木材の種類や湿度に応じて微妙な調整を行う技や、熟練の医師が診察時に一瞬で病状の兆候を察知する能力は熟練の例です。これらは形式化しにくく、他者に完全に伝えることは難しい特徴があります。

●対概念としての技術と熟練

技術が「普遍的な方法」による再現性を追求するのに対して、熟練は「個別の経験」による独自性を重視します。このため、技術は万人に共有可能である一方、熟練は個人の長年の経験に根差しており、必ずしも他者に移転可能ではありません。技術が「手順を踏めば誰でも同様の結果が得られる」ことを目指すのに対し、熟練は「特定の人が特定の状況下でのみ発揮できる判断力」や「場の文脈に依存する特異な技」によって成り立ちます。

したがって、技術は熟練にはなり得ず、熟練は技術にはなり得ません。技術は体系化された方法論として普遍化を目指し、熟練は特定の状況や経験によって形成される独自の判断力としての個別性を重んじるからです。このように技術と熟練は、普遍性と個別性、伝達可能性と直感的経験という側面で対概念となり得るのです。

「対概念としての技術と熟練」という限定を加えずに「技術と熟練の違いを説明してください」と尋ねれば、このような期待通りの回答はかえってこないでしょう。その意味では、尋ねる側がある程度考えなければ、望む結果が得られないといえばその通りです。ですが、逆にいえば、こうした限定の意味を「理解している」ようにみえるのです。ただ、インターネット上のいろいろなサイトを検索して該当しそうな文書を選んでいるというレベルを超えているように「みえる」のです。

生成AIとの「対話」

さらに要望を追加してみましょう。

一般市民向けのカルチャー講座で「情報通信技術と現代経済」というタイトルの講演をします。その導入部で「そもそも技術とは」というテーマで、技術について話す導入部として、上の内容を1000字程度にまとめてください。受講者が普段使っているが「技術」という言葉の意味について、あらためて自分で考えてみようと思うように誘導してください。

すると次のような回答かかえってきました。

「技術」と聞いて、皆さんはどのようなイメージを持たれるでしょうか?スマートフォンやインターネット、人工知能など、現代社会を形作る数々のツールや仕組みがまず頭に浮かぶかもしれません。それらは確かに「技術」の成果ですが、そもそも「技術」という言葉はどのような意味を持つのでしょうか。今日の講座では「情報通信技術と現代経済」をテーマにお話ししますが、まずは「技術とは何か」という問いから始めてみましょう。

技術とは、一言でいえば「目的を達成するための知識や手段の集合」です。例えば、料理のレシピ、建物の設計図、コンピュータのプログラムなどは、すべて特定の目的に向かって技術が体系化されたものといえます。技術には、一貫した手順や再現可能な方法が求められ、これを学べば、ほとんど誰でも同じ成果を上げることができます。誰もが使えるスマートフォンや、生活に役立つインターネットは、まさに技術の力によって万人に共有可能なものとして提供されています。

しかし、技術とはすべてを解決できる万能の力でしょうか?ここで「熟練」という概念と比較することで、その本質を考えてみたいと思います。熟練とは、長年の経験と実践によって培われた「その場限りの判断力」や「個人に特有の直感」を含むスキルです。例えば、職人が木材を見ただけでその質を見極め、適切な道具で微調整を行う技術や、熟練の医師が患者の症状を一瞬で察知する洞察力は熟練の力です。これらは「技術」としては体系化しづらく、他者に完全に伝えることも困難です。技術が多くの人に共有可能で再現性を重視する一方、熟練は個別の経験に根ざしているため、同じ経験をしないとそのまま真似ることは難しいのです。

技術と熟練は、対立する性質を持つものですが、どちらも大切です。技術は多くの人に手軽に使える力をもたらし、効率化と進歩をもたらしますが、一方で熟練がなければ対応できない柔軟な判断や深い洞察も必要です。こうした視点で考えると、現代の情報通信技術がもたらす利便性や、私たちの生活や経済にどのような影響を与えているかも見えてくるのではないでしょうか。

この講演を通して、普段何気なく使っている技術という言葉が持つ深い意味について、少しでも皆さんと一緒に考えていければと思います。

今回の講義のはじめのところと読み比べてみてください。“こっちの方がずっとわかりやすいじゃないか”と思う人もいると思います。だまって「はじめに」のところにこれをコピーしたら、はたして何人の人がそれに気づくでしょうか。

また、chatGTPが返してきた回答に不満があれば、要望を追加することで、思うような文書にどんどん書き換えてゆくことができます。対話が成りたつ「ようにみえる」のです。自分一人で書くよりは、モヤッとした希望をハッキリした文書のかたちに仕上げられるかもしれません。こうなると単なるコピペとはいえません。次々に要望をだしているのは、あくまで私のほうなのですから。

学術論文を書くというのは、それなりのトレーニングを必要とする熟練労働であり、そう簡単にコンピュータが代行できるはずがないといいきれるかどうか、少なくとも、論文のなかのサーベイとか、基本的な用語の説明とか、だれがやっても大差がない部分については、逆に生成AIが代行する可能性も否定できません。人間の思考がまるごと全部コンピュータで置き換わるわけではありませんが、だれがやっても同じ部分は、理論上は、生成AIが担いうるはずです。私自身は、人からわかりずらいといわれることに慣れており、chatGTP的な多数派に与するつもりがもともとまったくないので、“おまえの「はじめに」よりchatGTPの「はじめに」のほうがずっとわかりやすよ”といわれても気になりません。むかしから「だれにでもわかることをだれよりもわかりやすく説明する」優等生をたくさんみてきたからです。とはいえ、生成AIを利用した論文が大量生産され、それを読まされる時代がくるのかと思うとウンザリします。ただ、事実は事実、どう対処すべきか、これにはchatGTPも答えられないでしょう、自分のアタマで考えてゆくしかないのです。

世田谷市民大学2024第4講


労働の世界:その奥行き

はじめに

前回は、現代の貨幣に関して、貨幣の正体を柔軟に見なおし、それをもとに日銀券と預金通貨の関係や、その背後にある国債の問題について考えてみました。金融政策で不況から脱却しようとしても無理だという保守的な結論で、がっかりしたかもしれません。高度成長期には福祉国家を理想とする社会民主主義は、事実上、積極財政を支えるものとしてケインズ経済学を拠り所としていました。現代の左派のうちにも同じような傾向は受け継がれており、赤字国債を発行しても財政破綻の心配などないという「新しい貨幣理論」を支持する人たちも少なからずいます。そうした人たちには大いに不満であろうと思います。とはいえ、イデオロギーに牽引された理論が、結果的に大きな弊害をもたらしてきた経験を忘れるべきではないでしょう。

今回は現代資本主義における労働について考えてみます。労働の問題は、ただその現状を記述するだけではなく、今どのように変わりつつあるのか、これからさき、どのようになってゆくのか、という展望と深く結びついています。ここでは、どう変わるのかは、どう変えるかという価値判断、イデオロギーと不可分なところがあるのですが、ただそうした側面は極力避けることにします。そうした論争の前提となる共通認識のようなものを準備するのが、学問の第一の使命であると考えるからです。私はかつて、こんなふうに「科学とイデオロギーの分離」を説く宇野弘蔵には馴染めなかったのですが、長いこと教師をやっているうちに、いつの間にか同じことをいうようになっていました。環境が意識を規定するというべきか…桑原くわばら。

前置きが長くなりましたが、今回もまず第一に、労働とはそもそも何か、という原理的な問題に立ちいってみたいと思います。現代の労働を捉えるためには、資本主義のもとでの賃金労働に還元できない労働概念の拡張が不可欠だからです。この拡張を基礎に、第二に、現代資本主義のもとで労働の多様化について考えてます。いわば労働の質的な変容、労働世界の深まりがテーマです。これに対して、第三に賃労働が覆う領域の拡大について考えてゆきます。ここでは、今日の日本における資本と労働の関係を数字で記述してみます。資本主義における分配関係を捉えるうえで労働時間が有効な尺度たりうることも示してみたいと思います。

労働とは

合目的的活動

マルクスはまだ20代に書いた草稿などのなかで、おそらくヘーゲルの影響をうけてでしょう、「自己疎外」Selbstentfremdung の概念を軸に労働について多く論じています。この草稿は戦前に解読がはじまったものの、その後もなお長いこと埋もれていたのですが、戦後、とくにスターリン批判、ソ連型社会主義批判の一つの基礎として広く読まれるようになりました。私が最初に読んだマルクスの著作も『経済学・哲学草稿』でしたし、その訳者である城塚登先生が自著『若きマルクスの思想』をもとに講義された「社会思想史」を駒場で受講した覚えがあります。ただ『資本論』になると、搾取論が前面に押しだされ、商品の価値はその生産に必要な労働量によってきまるという労働価値説の影に、疎外論にみられたような労働そのものに対する哲学的考察は隠れてしまうのですが、それでも『資本論』第1部第5章第1節「労働過程」を読むと、労働をただ労働時間に還元するのとはひと味違う深い洞察が展開されています。

ここでは、人間の労働を特徴づける合目的的性格が次のように印象的に語られています。

クモは織布者の作業に似た作業を行なうし、ミツバチはその蟻の小室の建築によって多くの人間建築師を赤面させる。しかし、もっとも拙劣な建築師でももっとも優れたミツバチより最初から卓越している点は、建築師は小室をで建築する以前に自分の頭のなかでそれを建築しているということである。(Werke,23,S.193)

『国富論』では、犬どうしが骨と肉を交換したのはみたことがないが、人間どうしはお互いに相手の利己心に訴えて give and take ができるというレトリックで交換性向を人間の本性だと印象づけたのですが、『資本論』は目的と手段を分離して合理的に行動するところに人間の本性があると捉え、この行動様式を労働と規定するのです。

労働と生産

このように定義すると労働という概念がカバーする範囲は、通常考えられているものより、ずっと広い範囲を覆うことになります。どのように広がるのか、ざっとみておきましょう。

まず第一に、労働の結果は「生産」だとは限らないことになります。「生産」という概念は、厳密に定義しようとするとけっこう厄介です。「何か」が増えるか減るかという基準で、「消費」と対をなす「生産」という概念は定義されます。この「何か」は量として客観的には「はかる」ことができなくてなりません。ここではこの「はかれる何か」をカタカナで「モノ」と呼ぶことにします。「はかる」とはどういうことかという問題は、深入りするとむずかしくなりますが、少なくとも、取り替え可能であるモノ、混ぜたらわからなくなるモノが無数にあることが前提になります。こういう性質を英語では fungible というようです。ダビンチのモナリザは non-fungible ですが、その写真なら fungble になるわけです。モノは計測計量できればよいので、民法でいう「有体物」である必要はありません。「無体物」でもはかれればモノです。ミクロ経済学では「財・サービス」という区別をして「サービス」も交換対象となるといいます。『国富論』など19世紀の経済学が「財」のみを生産物としてきたのに対して「財・サービス」というのだと思いますが無意味な区別です。この区別を前提にして、現代の経済では財からサービスに重心が大きくシフトして、経済の「サービス化」が進んだというような議論は理論的基礎が薄弱な現象の記述です。マルクス経済学でもサービス労働は価値を形成するかといった論争がいまでもなされていますが、定義をめぐる混乱で終わるだけです。少し横道に逸れましたが、「モノ」は来週お話しする「情報」の問題を考える基礎になるので、アタマの片隅にメモしておいてください。

さて、生産というのは代替可能性をもつモノを増やすことであり、消費とは減らすことだと定義すると、労働は生産という面だけではなく消費という面ももちます。パンの生産は小麦粉の消費を伴います。むろん小麦粉がパンになることはありません。だれかが小麦粉をこねて発酵させ焼かないかぎり、パンという人工物は存在しないでしょう。その意味で労働はなされているのですが、それはパンを生産すると同時に小麦粉を消費しているのです。小麦粉をパンにするというというのは「作る」make に当たります。日本語では「作る」と「生産する」が同義に使われており、そのため「労働」=「作る」=「生産する」と一緒くたに考えてしまうが、最初の等号は成り立っても後の等号は成り立たない。労働はあるモノを別のモノに「する」がモノの量を増やすとはかぎりません。むずかしい話になってしまったが、ともかく、労働=生産という固定観念を払拭しておくことが、今日の労働を考えるうえでは不可欠になります。労働がおこなわれているのは会社や工場、家に帰れば労働などおこなわれていないというわけではないことを確認しておきましょう。

労働の三契機

労働という概念を人間に特有な目的意識的活動一般と広く規定するなら、そこには少なくとも

  1. 目的を定める

  2. 手段を整える

  3. 目的に向けて手段を操る

という三つの契機を考える必要があります。契機というのは、一つの全体構造を構成する要素のことです。バラバラな部品に分解できない有機的な性格を強調したいとき、要素要因といわずに契機といいます。

目的意識的に行動するには、まず何を実現するのか、目的をハッキリさせ、そのための手順をしっかり組み立てたうえで、実行に移る必要があります。なんとなく晩ご飯を作ろうではなく、何をどれだけと何をどれだけと… 数えられる、はかれるかたちできめる必要があります。家ではこんな面倒なことはしないでしょうが、レストランではたらくときはこうするでしょう。

手順というのは、目的から逆算して手段をきめることです。コンピュータのプログラムを書くときには、手順をどう組み立てるのか、昔はフローチャートを書いたりしたのですが、今風のオブジェクト指向言語でも考え方は同じです。レシピというのは一種のプログラムです。

こうした準備をしてから、はじめて実行に移るのですが、そこでは人間の身体活動が不可欠です。フライパンに油をしき、加熱して、タマゴを割ってとき、多少油煙がたつギリギリのあたりで、ジュッと一気に注ぎ…. まだまだありますが、はじめてオムレツができるわけです。この過程では、タマゴを割ったり説いたりフライパンを揺すったり中味を返したり、といった力もたしかにいるのですが、タイミングを見計らうには目耳鼻さらには熱を感じる皮膚感覚も動員しなくてはなりません。労働力は単なる動力でもエネルギー源でもありません。センサとメモリ・プロセッサとアクチュエータが必要なのです。事前に手順をきめても、実際の過程がその通り煤とは限りません。さまざまなノイズで予期せぬ方向に進まぬように、ふんわり仕上がったオムレツをイメージしながら微調整を繰り返す注意力が必要です。

労働世界の深さ

商業労働

行動の目的をきめるというのは、特段むずかしいことには思えないかもしれません。それは自分で自分の目的をきめる場合を想定しているからです。しかし、人間は自分がそうしたくなくても、他人のために行動することができます。自分が空腹でなくてもオムレツはつくれるのです。アタリまえ!… ですが、このアタリまえのことができるのは、相手がしてほしいことを知る能力があるからです。「知る」というのは“その気持ち、わかるよ”といったレベルでは済みません。相手の空腹など自分が感じることはできないからです。「自分が空腹だ」と「彼が空腹だ」の違いは「他我問題」という哲学の立派なテーマだそうですが、それはさておき、他人のためにはたらくには、モヤモヤした相手の欲求を、実現可能なハッキリした目的にする作業が必要となります。

目的の設定には、人間のコミュニケーション能力を暗黙の前提にしているのです。労働はコミュニケーション活動を伴うのです。マルクス経済学には昔から“「商業労働」は価値を形成するのか”という論争問題があるのですが、そもそも「商業労働」とは何か、という中味の分析をせずに商業=売買に関わる活動をひとまとめにして議論されてきました。中味に立ちいってみれば、そこに他人のモヤモヤした欲求を労働の目的になるような明確なかたちにするという要素が含まれているのに気づきます。これは店のなかでモノを運んだりレジでキーを売ったりするのとは別です。接客というのは商業に限らず,実はいろいろなところで必要になります。

プログラミング

手段を整えるという第二の局面では、食材や道具に対する知識が必要になります。この準備作用をちゃんと進めておけば、手段を操作して目的を実現する第三の過程はスムースに進みます。逆に、これを充分におこなわずに実行すると、途中で何度も中断しやり直すといった試行錯誤が求められることになります。とはいえ逆に、ありそうなトラブルを全部避けるために不必要な時間をかけるのも無意味なので、でたところ勝負、人間には臨機応変に対処する力がありますから、この熟練を磨くほうが効率的であることも否定できません。いずれにせよ、労働そのものにはいくつかの局面、要素で構成されている点に留意しておくことは現代の労働を考えるうえで重要です。コミュニケーションも知識もいらない、臨機応変に対処するカンも発揮できない、限られた局面だけを「本来の労働」として切り取るのは、貨幣のところで話した「本来の貨幣」の場合と同様、異なる様相をもって現れる対象を捉えそこなうことになります。

コンピュータを扱う活動では、自分でプログラミングコードを書くかどうかはべつに、たえず順番を考えて、入力したり読みだだしたり、うまくゆかなければ、元に戻って、別の入力をしたり、といった試行錯誤をすると思います。何度も戻ったり、先に進んだりするところがでてくれば、こうなったら右、でなければ左、のような基準もつかめるようになります。つまり、アタマのなかで条件分岐のプログラムを書いているのです。これでうまくいっていたのに、イレギュラーな出力にでくわすと、また遡って見なおしたりもするでしょう。デバッグしているのです。カーナビを使ったり、Web検索をしたりする場合でも実は知らず知らずに事実上プログラミングしているのです。

コンピュータをつかうことで明確に意識されるこうした過程は、従来からずっと自然になされてきたことです。ただそれが明確なかたちで取りだされ意識されることがなかっただけです。コンピュータをつかうことが一般化した今日の労働では、こうした手順を設計する局面がますます重要な契機となりつつあります。プログラミングコードをかく作業だけが、コンピュータをつかう労働ではありません。生成AIの発達でコード自体をかく作業は、どんどんコンピュータサイドに移行してゆきそうです。ただ、どういうことが実現したのか、を生成AIに伝えるにはコンピュータに対する知識が不可欠です。これからの労働では、手段を設計する第二の局面が大きくクローズアップされることになるのかもしれません。

マニュファル・レーバーの解体

とはいえ、資本主義の歴史を振りかえってみるかぎり、大多数の労働が第三の過程に、しかも同じ作業を繰り返す単純労働であったことは否定できません。『国富論』では、労働は labour は分娩であり、本来つらいもの、できれば避けたい toil and trouble だとされていますし、『資本論』をみても「機械と大工業」のなかでは機械の付属物に化した労働のすがたがクローズアップされています。

これは19世紀の出来事、過去の話だで済ますことはできません。H.ブレーヴァマンの『労働と独占資本:20世紀における労働の衰退』の翻訳が1978年に出版されました。この本では副題は、この単純化の過程が一貫して続いていると主張するものです。20世紀における労働の現場における豊富な事例をあげながら、労働に不可欠なスキルが次々に解体されてゆく衰退 degradation の過程が生き生きと描かれています。

コンピュータと労働

私も長い間ブレーヴァマンの説を受け容れてきました。「コンピュータと労働」という論文を書いたときも、“ブレーヴァマンのいう手先の労働 manual labour の解体はほぼ極限まで進んだが、それで人間の労働がなくなるわけではない、人間の知的活動だとずっと信じられてきた領域で、コンピュータという<道具>が登場し第2ラウンドの熟練の解体がはじまったのだ”と考えてきました。しかし、はたしてこの考えですむのか、直近のコンピュータサイエンスの急展開をみると、もう一度考えなおす必要がある気がしています。来週、情報について考えるなかでまたふれてみたいと思いますが、ともかく、20世紀における労働の大多数は、与えられた目的を実行する第三の局面が占めていました。とりわけ、そこで最後まで残った労働は、運転操縦型の労働だったと思います。このタイプの労働が今まさに、最後の自動化にさらされているように見えます。

ただ、これまでみてきたように、このことは「本来の労働」が消滅しつつあると捉えるのではなく、第三の局面に偏してきた労働のかたちが変容しつつあるのだと捉えるのが正解でしょう。問題は第一や第二の過程の労働は、資本主義の基礎にとなる「賃労働」の形式に馴染むのかどうかにあります。私はここに、現代資本主義がこの先変わらざるを得ない重要な契機が潜んでいるのではないかと考えています。

結合労働

最後にもう一つ、現代の労働について考えるとき留意すべきポイントがあります。それは労働の組織性の問題です。『資本論』では「協業」と「分業」というのがでてきます。英語でいえば Cooperation と Division of Labour です。明治時代に先に「分業」という訳語が固まって、これと調子を合わせるために『資本論』での訳語が「協業」となったのではないかと思います。「協業」という用語はマルクス経済学以外では長い間使われてこなかったのですが、最近では異業種のコラボを「協業」とかよぶそうです。『資本論』では労働者が同じ目的の実現のために、文字通り「協力」することを「協業」と呼んでいます。チームの労働です。雇われた労働者はバラバラに孤立してはたらくのではなく、たいていは組織のなかではたらくと思います。一人ではとてもできないようなことができたり(単純なのは重いモノのをみんなで押すケース)一人のときに比べてはるかに効率的にできたり(単純なのはバケツリレーなど)できるわけです。複雑な組織のなかでさまざまな労働をおこなう分業が進むのですが、資本主義的な生産組織の基礎にあるのは協業です。資本は多数の労働者を雇うだけで、このような集団力を自由にできるのです。

資本が目的は設定しますが、それに向かって労働者が協力するのは資本が逐一指図するからではありません。労働者同士が互いに連繋し一つのチームとして行動するのです。監督が一人一人の選手に指令をだすわけではありません。人間には目的に向かって互いに協力する能力が具わっています。これはその自由度において、集団で生活する他の生物に比してもダントツに優れています。言葉を自由に使えるというのが最大の理由かもしれませんが、指さしでも目線でもコミュニケーションはとれます。協業はこうした人間本来の広く柔軟なコミュニケーション能力を基礎にして、集団ではたらくことに効果をもたらすのです。資本は個々バラバラな労働力を賃労働として買うのですが、買った後はバラバラな労働力として使うのではなく、結合労働として使うのです。こうして、資本主義のもとではその集団力が資本のものとなるわけです。個々バラバラの労働者は、どんなに個人企業として対抗しようとしても、大量の労働力を買う資本に打ち勝つことはなかなかできないわけです。

さて、労働が組織性をもつこと、その基礎にあるのはコミュニケーションである点に注目すると、情報通信技術が現代の労働に対して与えるインパクトの一面が浮かび上がってきます。来週お話ししますが、通信は英語で Communication です。日本語の意思疎通という意味でのコミュニケーションは、通信の意味はありませんが、英語では両者に同じ語を当てています。たしかに、通信技術はコミュニケーションの様式を変える力をもっています。コンピュータサイエンスとインターネットのもつ底力は、労働組織のあり方をかえるこの変える力だといってようでしょう。その意味で、現代の労働を考えるとき、人間労働のもつ本質的な組織性が重要なポイントとなるのです。

労働世界の広がり

賃労働でない労働

以上は、労働概念を拡張することで、労働の世界のいわばタテの深化を考えてみたのですが、もう一つ、労働の世界のヨコの広がりの問題があります。

すでに述べたように、労働概念を広く合目的的活動一般と捉えると、人間は眠っているとか、ボーとしているとか、そういうとき以外、ほとんど労働していることになります。これは、いくらなんでもちょっとばかり、概念の拡大のしすぎになるでしょう。目的をハッキリと定めた行動という意味であれば、もうその範囲は少し絞られるでしょう。とはいえこのように考えると、労働は会社や工場のなかでしかなされないわけではないことがわかります。要するに、貨幣を稼ぐ活動だけが労働だというわけではないのです。

合目的的な活動は、学校で勉強をしているときも、家で料理をしているときも、子供たちの通学路で見守りをしているときも、ボーっとやっているわけではないでしょう。こうした活動も歴とした労働です。世の中には賃労働の形式をとらないさまざまな姿の労働の世界が広く存在しているのです。現代の労働を考えるうえで、賃労働と非賃労働の境界線が組み換えられている点に注意する必要があります。I.イリイチの『シャドウ・ワーク: 生活のあり方を問う』の訳書がでたのが1982年で、シャドウ・ワークという用語が一時期氾濫したのですが、この種のカタカナ語はどうしても一過性のものになりやすく、今では使う人はあまりみませんが、言葉にこだわらなければずっと続いてきた問題です。

簡単な例

昔からよくいわれてきたことですが、実態はなにも変わらないのに、同じ労働が賃労働の形態をとることで国民所得が増大することはあります。たとえば300円の食材を買ってきて、30分間自分で調理してカツ丼をつくって食べる代わりに、時給1000円で30分間余計に残業して500円稼ぎ、カツ丼屋で一杯800円のカツ丼を食べたとします。このとき、私の所得が500円増えた分だけ国民所得もふえます。国民所得は文字通りある期間の国民の所得の合計だからです。

家でカツ丼をつくっても、それでは所得は増えません。ところが、残業してカツ丼を食べるようになるだけで、国民所得は増えるのです。もし自分の勤め先で残業する代わりに、カツ丼屋で30分アルバイトをして500円稼ぎ、800円のカツ丼1杯を食べると考えれば、この関係はもっとストレートに現れます。家でやってもカツ丼屋でやっても、カツ丼をつくるという活動に違いがなくても、国民所得は変わってくるのです。

つまらない例でしたが、家事労働が国民所得の計算に入っていない点は、国民所得が豊かさの指標にならない理由とされたり、市場経済化が進んでいない国地域の国民所得を先進資本主義国とそのまま国民所得と単純に比較することはできない理由とされたりしてきました。こうした賃金形態をとらない労働は、家事労働にはかぎりません。賃金労働が支配的な経済では、賃金収入をベースにした家族単位で考えやすいのですが、地域社会は単純な家族の集まりではありません。そこではさまざまなボランティア活動によって支えられているのです。いままで賃金労働の形態をとってこなかったこうした労働が、賃労働の形態をとることで、国民経済の規模はかわって現れます。現代資本主義の一つの大きな特徴は、このような賃労働と非賃労働のボーダーがどんどん賃労働サイドに押しひろげられてきていることにあります。子供を産み育てることにも、老いて死にゆく者を労ることにも、利潤を追求する資本に浸食され賃労働の対象となっています。もちろんすべてが一様にそうなるというわけではありません。賃金労働に置き換えやすい周辺から、少しずつ少しずつ部分的な浸食が進むのです。

付加価値

また話が労働の質のほうにいってしまいましたが、ここでは量を問題にしたいのでした。と思ってふりかえってみると、実は、いまさっきのカツ丼屋の計算にはちょっとゴマかしがありました。コマいことですが、どこがヘンなのでしょうか?クイズです。ヒント:「私の所得が500円増えた分だけ国民所得も増えます」のところ、もう一度考えてみてください。

カツ丼屋を経営する立場で考えればわかります。原材料を300円で買いバイトに30分500円払ってカツ丼を800円で売る…って、“うちはボランティアじゃないんだ”といいたくなるでしょう。時給1000円で30分、自分の会社で残業で考えても基本は同じです。どこであっても時給1000円の賃労働は、30分なら500円の賃金所得をもたらすだけではなく、それを雇う資本の側にも追加の利潤所得をもたらします。だから雇うのです。時給1000円の賃労働1時間は1000円以上の付加価値(賃金+利益)を生みだすのです。さっきのクイズの正解は、30分間余計に残業すると「賃金プラス利益だけ国民所得も増えます」といったものになるでしょう。

どうして利益がでるのか

時給1000円の賃労働30分に500円払って雇うと、どうして追加の利益がでるのでしょうか?クイズです。「そりゃ、利益がでるのはカツ丼の値段があがるからでしょう。800円ではなくて1000円になるから200円の利益がでるのだ。」…って、ハズレ、これは零点です。値上げしないと利益がでないという人は、自分だけが値上げできると思っているからで、回り回って自分の原材料価格が上がることを考えていないからです。賃金も同じ率で上がれば、値上げで得られると思っていた利益はチャラになるのです。このあたり、視野を広げて全体を見渡すには、やはり最低限の経済学は必要でしょう。

30分のバイトを雇ってつくったカツ丼でも利益をだすには、なにも1000円に値上げする必要はないのです。800円でもちゃんと利益がでていたのですから、この値段でもバイトがカツ丼をどんどんつくってくれれば、それだけ利益の量は増えます。もちろん、一杯あたりの利益つまりマージンの販売価格に対するマージン・レートがアップするわけではありませんが。

利益がでるのは30分で1杯以上のカツ丼ができるからです。カツ丼屋では一人でカツ丼を始めから終わりまでつくるわけではないでしょう。何人も従業員がいて仕込みから何から分業でやっているはずで、何分で1杯できるかはこうした従業員全員の労働時間をつくったカツ丼の数でわった平均の値になります。10人が1日8時間、つまり10 × 8 × 60 = 4800
はたらいて320杯つくるなら、1杯つくるのは4800 ÷ 320 = 15という計算になります。

30分で雇ったあるバイト労働は、この計算でゆくと、1杯ではなく2杯のカツ丼をつくることになります。もちろん、このためには1杯あたり300円、2杯なら600円が必要になります。30分で2杯ででき、1杯800円なら1600円の売上になります。ここからコストを引けば利益が残ります。1600 − 600 − 500 = 500がでるわけです。これはもちろん架空の話で、単純な比例計算ができないとか、いろいろコマイ話をするとキリがないのですが、理論ではこのあたり「単純化のために…と仮定する」とハショってよいことになっています。これでゆくと、要するに1杯あたりで600 + 250 + 250 = 800が原理なのです。『資本論』では、これもコマイ話をするといろいろあるのですが、不変資本c 可変資本 v 剰余価値 m として、 = c + v + m に対応すると考えてよいでしょう。付加価値 はv ではなくv + mなのです。

くどいですがもう一度、30分のバイトについてみておくと、30分でカツ丼2杯をつくり500円の賃金を得る、カツ丼屋は売値から原材料費と賃金を差し引いて1杯あたりのマージン250円、2杯で500円の利益を得る、ということになります。原材料費も2倍になりますが、これは中間生産物のであり、売値から控除される額で、それが増えようと減ろうと、カツ丼屋の付加価値には影響しません。カツ丼屋における付加価値は、その内部で新たにつくりだされた所得の合計であり、賃金+利益なのです。

スミスのドグマ

ついでだから、まだ腑に落ちない人のために、少しサービスしておきます。カツ丼屋だけで考えれば、付加価値は賃金+利益 $v+m$ かもしれません。でも社会全体でみれば、原材料費もそれを生産している資本のもとでは原材料費+賃金+利益 $c’+v’+m’$ になるので $v’+m’$の付加価値を形成する。さらに$c’$も $c”+v”+m”$ に分解され $v”+m”$ の付加価値を付加価値を形成する。こんな具合に中間生産物の原材料費はどんどん付加価値に分解できるから、社会全体でいえば $c$ は$v+m$ に分解できるのだ、これが『資本論』で「スミスのV+Mのドグマ」と呼ばれた議論です。『資本論』は生産手段生産部門と消費手段生産部門の二部門で構成される「再生産表式」を使って、このドグマを批判しています。ある期間、例えば1年をとってみると、つねに今年消費される生産手段は、今年すでに生産手段生産部門で生産されているのであって、生産手段ゼロのところからV + Mが積み重ねられて最終生産物がつくられるわけではありません。社会全体でみたとき、資本は生活手段に相当するvだけに投じられるのではなく、生産手段に相当するcにも投じられているのであり、資本がどれくらいもうかったかは分配率(剰余価値率)v/mではなく、利潤率v/(c + v)によってきまるというのです。『資本論』の議論は、このあと、第1回でもみたように、この利潤率が生産力が上昇するなかで傾向的に低落してゆくというパラドックスを強調するかたちに展開されてゆきます。

日本経済で目の子算

また理論のほうに話がずれてしまいました。現代資本主義論というテーマなので、もう少し現実の現象に引きつけた説明をすることにします。カツ丼屋の話はあくまで問題をみやすくするための例解(イラスト)だったので、たくさんの企業で構成されている現在の日本経済がどのように見えるのか、リアルな数字をいれてみたいと思います。

まず、総労働時間です。日本の労働力人口はざっと7000万人ということにします。一人8時間で5日はたくとして週40時間労働、年50週はたらくとすると2000時間となります。総労働時間は大まかにいって7 × 107 × 2 × 103 = 14 × 1010 = 1400となります。

次に国民所得ですがフロー・ストックの概要のフローのほうです。5ページの「(2)国民所得」で2022年のところをみると、ザッといって $$\small
\def\arraystretch{1.2}
\begin{array}{ccccccc}
雇用者報酬 &+& 財産所得 &+& 企業所得 &=&
国民所得 \\
300兆円 &+& 30兆円 &+& 80兆円 &=& 410兆円
\end{array}$$

となっています。雇用者報酬には役員報酬とかいろいろ入っているようですがコマイ話はなしにして、これを賃金総額とみなすことにします。すると、平均時給は
$$\small 300\times 10^{12} \div
14\times10^{10} \fallingdotseq 2140 円$$
時間あたりの付加価値は
$$\small 410\times 10^{12} \div
14\times10^{10} \fallingdotseq 2929 円$$

といったところになります。細かい数字は意味がありませんが、1時間労働することで、3000円の付加価値を形成し、そのうち2000円を賃金として受けとっていることになります。残りの1000円が広い意味で資本の所得となり、『資本論』の剰余価値率$m/v$にほぼ対応する分配率$m/(v+m)$は2/3ということになります。

ストックのほうもみておきます。「一国経済の貸借対照表」というすごい(ラフな)のがあって
$$\small
\def\arraystretch{1.2}
\begin{array}{ccccccc}
固定資産 &+& 在庫 &=& 生産資産\\
2174兆円 &+& 86兆円 &=& 2260兆円
\end{array}$$

となっています。在庫86兆円が1年間に何度も売られ買われしてフローの原材料費総額になっていると考えればよいのでしょう。賃金は後払いでストックとしての資本には現れないとすると、マルクス経済学でいう利潤率は
$$\small
\def\arraystretch{1.2}
\begin{array}{ccccccc}
&資本の利益 &\div& 生産資産\\
\fallingdotseq &(410-300) &\div& 2260\\
\fallingdotseq &0.05
\end{array}$$
ですからおよそ5%くらいというところでしょうか。剰余価値率は30%くらいでしたが、利潤率はこれよりずっと小さな値になります。

フローとストックの関係がわかりにくいかもしれませんが、固定資本の毎年の償却分と新規建設分の差がストックの固定資本総額を増減させるとみればよいのでしょう。内閣府の「国民経済計算」の数値をみるとだいたいのことはわかります。そのフロー編の「国内総生産勘定」をみると2022年の固定資本減耗が1459871億円、総固定資本形成が1479686億円で差し引き1479686 − 1459871 = 19815 ≒ 2 がストックとしての総固定資本の増加分という計算になるのでしょう。一年間に145兆円ぐらいの機械設備などが老朽廃棄されほぼ同額の新しいものに入れ替わっているようです。このデータでみると、対外関係を度外視すると、国民所得 410兆円にこの固定資本の更新分145兆円を加えた560兆円ほどが国内総生産 GDP ということになります。国際比較や経済成長率で使われる560兆円の国内総生産のほうが一般によくでてくる数値です。

つくるのに必要な時間と買うのに必要な時間

労働時間に関しては、これまでカツ丼を生産するのに直接必要な労働時間だけを考えたのですが、原材料を生産するのに必要な時間、つまりカツ丼を生産するのに間接的に必要な労働時間というのも、理論上は計算できます。この両方を合わせて、ある商品を生産するのに直接・間接に必要な労働時間を、その商品に「投下された労働時間」とか「対象化された労働時間」とよびここでは $t$ で表すことにします。

つぎにもう一つ、カツ丼の価格を時給で割った値を計算してみます。売値は「円」が単位、時給は「円/時間」が単位ですから、 ÷ の単位は「時間」になります。カツ丼なら 800 ÷ 1000/ = 0.8 = 48になります。この時間は何を意味しているのでしょうか。…カツ丼を1杯食べるのに、何分はたらかなくてはならないか、その時間です。「48分はたらいて1杯800円のカツ丼を食べた」、それだけのことですが、ではこの800円のカツ丼をつくるのに直接間接何分かかったのでしょうか。カツ丼屋で直接調理する時間は15分だったかもしれませんが、豚肉をつくったり調味料をつくったり、またそのための設備をつくったりと、たどってゆくと際限がありませんが、ともかく何分かになるハズです。

もし48分以上かかっていたらどうなるでしょうか。カツ丼一杯を食べるのに48分はたらかなくてはならないが、そのカツ丼一杯をつくるのに48分以上かかるとすると、カツ丼のコストは時給が1000円の労働で計算すると800円以上になってしまいます。資本サイドが赤字になるわけです。ということは、カツ丼屋が利益を上げられるのは、逆にカツ丼1杯が直接間接に48分以下で生産できるからだということになります。48分以下で、例えば24分で生産できるカツ丼を、労働者が48分はたらいて食べてくれるから、カツ丼屋は24分に相当する利益が得られるわけです。

価格で考えると等価交換がなされているようにみえますが、価格 $p$ と時給 $w$ できまる買うために必要な時間 $p/w$という時間を考えると、$p/w > t$ という不等式が成りたっているのです。ちょっと難しい話になってしまいましたが、最近のマルクス経済学の労働価値説はこんな議論もしているのです。小幡『経済原論』第2編第2章「生産」の1節2節あたりを読むと、もう少しちゃんとした説明がなされています。いずれにせよ、円ではなく労働時間で集計すると、全部で何時間はたらき、何時間分の生産物を手に入れたのか、両方とも時間単位なので、付加価値総額の分配がよりリアルにつかめるはずです。

世田谷市民大学2024第3講

現代の貨幣:金融の膨脹

はじめに

前回は、一口に資本主義といっても、その資本主義は変わる、いろいろな資本主義があるのだという話をしました。今回からいろいろあるなかで、「現代資本主義」とはどんな資本主義なのか、その特徴を四つのトピックに絞って考えてゆきます。

まず貨幣と金融の問題からはじめましょう。与えられた時間は1時間半ですので、30分ずつに分けて、三つのトピックにまとめてみます。ちゃんとした厳密な説明をすることはできませんが、通説とは違う最新の内容をします。

第一のトピックは、現代の貨幣とはそもそも何なのか、という問題です。みなさんは貨幣なら日々使っているわけですから、貨幣ってコレでしょうと指さすことはできるでしょう。しかし、そのコレって何なのか、コレもアレもソレも貨幣だとしたら、それらはどう一般的に説明したらよいのか、という問題です。この種の問題に答えるのが理論の仕事です。第二のトピックは、いま指さしたその貨幣がどのようにそこに存在するようになったのか、その出所(でどころ)を分析してみたいと思います。人が受けとると思ったから受けとったといった話ではなく、どうやってこの世に現れるのか、という問題です。第三は貨幣と国債との関係です。これはまさに今現在の問題になります。

貨幣と金融の問題は複雑で体系的に論じるにはそれなりの準備が必要ですし、バラバラなトピックとして扱うにしても三つでは少なすぎます。たくさんの島々のうちの三島を訪れてエーゲ海を語るようのことになりますが、できるだけ現代の貨幣・金融の本質に近づきたいと思います。自分の専門に近い分野になると知らず知らずに「いい加減なことは言いたくない」というプレッシャーを感じ、難しい話になりがちなので、今回は「細かいことはさておき…」という逆プレッシャーをかけて話します。もしプロの方がいれば、細かいことはまた後で…ということでご勘弁ください。

貨幣の正体

どれがほんとの貨幣か

現代の貨幣を考える準備として、そもそも貨幣とはなにか、について述べておきます。「貨幣について、そもそも論など無意味だ。この問いがアレコレわけのわからない混乱をうむのだ。Money is Money. 人々が“貨幣だと思うもの”が貨幣なのだ。それ以上でもそれ以下でもない。終わり!」という人がけっこういます。

「まあいいでしょう。では、あなたが“貨幣だと思うもの”ってなんですか?」「1万円札?」「100円玉?」「銀行預金?」「クレジット・カード?」「交通系ICカード?」「いや現代じゃスマホのアプリ?」「ビットコイン?」いろいろなのがありますが、みんな、対等な Money is Money かというとちょっと違うのはすぐわかります。

クレジット・カードなどは、銀行預金から派生した支払のツールです。もとになる銀行預金は即座に引きだせるという意味で日銀券とほぼ同格です。銀行振り込みなどすると手数料をけっこうとられたり、振り込みまでに時間がかかったりします。万が一振り込み期間中にに銀行が倒産したりすると、振り込んだつもりでも支払は無効になったりするわけで、完全に同じかというといろいろ細かい違いはあるわけです。

ビットコインにいたっては、原油や小麦などと同様、商品取引所で売買される商品であって貨幣ではありません。ビットコインが現物取引なのに対して原油や小麦は先物取引だろうとか、細かいことをいいだせばキリがないのですが。たしかに「証券取引所や商品取引所で売買される商品は、そこで決まる価格でなら即座に売れるので銀行預金を引きだすのと変わりないじゃないか」といわれれば、そのかぎりでは同じです。商品といってもただの商品ではなく金融商品です。ただ銀行預金のような振り込み機能はついていなかったり、これもいろいろ細かい違いはあるでしょう。

100円玉は、法律上、20枚までしかまとめて支払に使えない補助貨幣です。こうした制限のない日銀券とは格が違います。端数を埋めるためのメダル、トークンにすぎません。今の日銀券は、法律上、どんな額の債務でも清算できる能力をもっています。たとえば100万円の債務を支払うには、100万円分のビットコインや100円玉1万枚なら拒否できますが、1万円札100枚を渡せばOKです。それでも相手が受取を拒否したら供託するという手もあります。借地、借家の場合など、地主、家主が値上げをしてきた場合にも、裁判期間中、地代家賃を供託しておけば債務不履行による立ち退きを免れることができます。日銀法46条に日銀券は「法貨として無制限に通用する」と規定されている通りです。

要するに、Money is Money といっても、みな同じMoneyなのではなく格が違うのだということになります。中心に位置するthe Moneyは、今日では日銀券、中央銀行券です。そしてこの日銀券を即座に引きだせる銀行預金もほぼ同格の貨幣とみなされ預金通貨とよばれたりします。これには利子が付くかどうかとか、いろいろ細かい違いもありますが、本質的には法貨とほぼ同格の貨幣群が取り巻いているのです。こうした格の違いを無視して、デジタル通貨とか仮想通貨とか、受渡の方法の新奇さに目を奪われ騒ぐのはあまりにチャイルディッシュです。

交換か売買か、いや値づけ

こうした最終支払能力をもつ、“ほんとの貨幣”の役割はなんでしょうか。

P君:「貨幣の役割でしょう、それは交換手段にきまっているじゃないですか。」
Q君:「交換手段って?」
P君:「商品Wと別の商品Wを直接交換しようと思っても、お互い欲しいものどうしの組合せにならないので、貨幣GW − G − WというようにWWを交換する手段になるのです。」
Q君:「でもWWと交換したのなら、相手からみればWWと交換したことになるはず。ところが、WWじゃなくて別のWに変わるのだから“交換”じゃないのではないですか?」
P君:「そういえば、小幡というひとがそういうことをいっていましたね。“『資本論』には「商品流通」W − G − Wっていう式がでてくるが、あれはおかしい、商品Wは買う商品Wがきまって、それを買うために売られるのはない。売られたところでW − G で終わるので、G − Wは別の過程なのだ”というのですよね。」
Q君:「“ドイツ語には売買という一単語がないから、交換といってしまったのだ。商品は売買されるもので、交換されるものではない”ともいっていました。私には正直、何がいいたいのか、わかりませんでした。」
P君:「無理に『資本論』を批判しているみたいな感じで、私も??でした。」
Q君:「…でしょう。私もよくわからなかったので、このまえちょっと会ったのでこの点について、“要するに何がいいたいのですか、結論は?”って直接質問してみたのです。そうしたら“貨幣を媒介物に還元してしまうのがマズいのだ。貨幣は、売ったあと、資産として保有される側面を第一に考えなくてはいけないのだ”という答でした。
P君:「それで、理解できましたか?」
Q君:「いや、さっぱり…だいたい“資産なのか、流通手段なのか、どっちが本質だ”みたいなことを理論の人はやかましくいうけれど、“両方だ”といっておけばよいのじゃないでしょうか。交換手段はマズいとしても、流通手段だけを重視するのじゃなく、貨幣には売らずにもっておく資産としての役割もある、現代の貨幣を理解するうえで、両方とも大事なのだ、という話でしょう。」
P君:「じつは、私も小幡さんとちょっと話すことがあり、“けっきょく、貨幣は流通手段中心にみるのではなく、蓄蔵手段中心にみるべきだ、ということなんですね”といったのです。そうした“いやいや貨幣には、流通手段や蓄蔵手段(資産としての)に先だって、もっと大事な役割がある”というのです。」
Q君:「なんですか。それは?」
P君:「商品に値段をつけられるようにする役割だ、といっていました。」
Q君:「値段って交換比率のことじゃないんですか?」
P君:「“いや違う、商品が他のすべての商品との間で同等である価値を表現したものだ”というのです。“価値を貨幣量で表現したものが価格、つまり値段で、価値のほうは値打というのだ”といっていました。」
Q君:「例の価値ですか?!その話はあまり深入りしたくありません…」
P君:「私もそういったのですが、“現代の貨幣を理解するヒントになるから、そういわずに付き合え”というのです。」
Q君:「どんなヒントになるというのです。」
P君:「“たとえば、リンゴの交換比率は、バナナとの比率、チーズとの比率、….と何種類もあるだろ、でも、価格はどの商品も共通で何円という一つだろ”というのです。“リンゴが他の商品と同等であるという性質が価値なのだそうで、この価値の量を表したものが何円という価格なのだ”というのです。」
Q君:「値段をつけるというのは、要するに、すべての商品と等しい潜在的な価値を貨幣で評価して表示することだといいたいのでしょうか?」
P君:「たぶん…ともかく“貨幣の第一機能はこの値づけを可能する役割で、これはほんとの貨幣にしかできない”というのです。“いろんなタイプの貨幣があるようにみえても、値づけの基準になれるのは一種類で、それが最終決済能力をもつ貨幣、つまり日銀券だけだ”というのです。“ビットコインじゃ値づけはできないだろう”といっていました。」
Q君:「納得できましたか?」
P君:「よくわからないといったら、小幡道昭『価値論批判』(2013)の第1章だけでよいから読んでみろ、といわれてちょっと覗いてみたのですがトホホでした。もっと若い人が書いた本ならと思って、勧められた江原慶『マルクス価値論を編みなおす』(2024)もみたのですが、もっとナンカイでした。」
Q君:「やはりね。ま〜数学にも整数論とかあって、そもそも数とはというような議論になると、アタリまえの足し算引き算がナンカイな理論になるということはありますから…」
P君:「“値づけに使える貨幣と使えない貨幣がある。現代の貨幣は、見た目、いろいろな種類のものが氾濫しているけれど、この値づけするという第一機能を果たせる中心貨幣は一つしか存在しないのだ。現代の貨幣でもこの原則は変わらないのだ。”と熱く語っていました。」
Q君:「自然数 0,1,2,3,…はこどもでもわかるが、ここに素数という不思議な並び方としている数が潜んでいる。価格という見える世界の背後に価値という見えない構造が潜んでいる、とか…」
P君:「それはどうかわかりませんが、ともかく、現代の貨幣を理解するには、目に見える新奇な現象を追い求めるのではなく、貨幣とはそもそもなにか、固定観念に縛られず、柔軟にその概念を広げてゆく必要があるのだろうな…という、そんな気がしてきました。」
Q君:「でも、それって、小幡にまたダマされたのかも….」

鋳貨か紙幣か

貨幣とはそもそも何か、という理論の話は一朝一夕で片が付くとは思いませんが、貨幣はコインか紙幣かといった歴史の話なら、もうちょっと見通しがよいでしょう。そこでみなさんにお聞きします。

  1. 本来の貨幣は金貨幣である。日銀券は不換銀行券であり、金と同格だった兌換銀行券とは異なり、不完全な貨幣である。

  2. 本来の貨幣は日本銀行券のような紙券である。金貨は、金に対するいわば迷信に由来する歴史の遺物である。

本来の貨幣は、金鋳貨か紙幣か、これは目に見える世界の話なのでむずかしくはないはず。さて、1.と2. どっちが正しいのでしょうか。

歴史的にみると

貨幣はもちろん古い時代から存在するわけですが、ここでは資本主義と貨幣の関係に絞って話します。『資本論』では「金銀は生まれながらにして貨幣ではないが、貨幣は生まれながらにして金銀である」(Werke,23,S.104)とか「私は、本書のどこでも、ことを簡単にするために、金を貨幣商品として前提する」(ibid,S.109)と述べられており、マルクス経済学では伝統的に、資本主義のもとで貨幣が本来とるべきすがたは金貨幣であると考えられてきました。しかし、第1講でみたように資本主義の成立が15世紀末にまでさかのぼるとすれば、金貨幣の成立史とのズレが目だちます。

歴史をさかのぼれば、金貨は銀貨や銅貨などとともに古くから存在してきたのですが、英国における制度としての金本位制(金鋳貨本位制)は、1816年の貨幣法で\(1oz\,tr = £
3.17s.10
\frac{1}{2}d.\)
の1ポンド金鋳貨を造幣し、自由鋳造を認め、唯一の無制限法貨としたことにはじまるといわれています。貨幣の単位名を金量で法定するという意味の金本位制は、1717に当時造幣局長官だったアイザック・ニュートンのもとで上記のように定められたといわれていますが、これは重さや長さの単位の法定と同じで、実際の法貨としての金鋳貨はそれからおよそ100年後ということになります。“oztr”はトロイオンスと読み貴金属の重量を表す単位で31gちょっと、金の比重が約19g/cm3といいますから1 oztrの金の体積は約1.5cm3つまり1センチ角のサイコロ1個半ということになります。Webで検索したらカナダの造幣局の1オンス メープルリーフ金貨が現在40万円ちょっとで売られているようです。

イングランド銀行の創立は1694年で兌換銀行券を発行していたのですが、ナポレオン戦争の時代に兌換停止があったりして、いろいろなことがあるのですが、1844年のピール条例で金準備制度が定められ、イングランド銀行券も法貨としての性格をもつようになったわけです。自由主義段階のイギリスが金本位制に根ざしていたといわれるのはこの19世紀中頃をイメージしてのことであり、『資本論』もこれを念頭に書かれています。ただこの時代、周辺諸国はなお銀本位だったり金銀複本位だったりいろいろだったようで、ドイツが金本位制に移行したのは普仏戦争に勝利した後の1871年、敗戦国のフランスも1876年にイギリス流の金本位制に移行し、日本も日清戦争後の1897年に実質的な金本位制を敷くことになります。国際金本位制の成立は、自由主義段階ではなく帝国主義段階にはいってからのことだといわれています。

周知のようにこの国際金本位制は、第一次大戦で中断された後再建されますが、すぐに大恐慌によって崩壊し、各国は管理通貨制に移行しながら第二次世界大戦に突入するわけです。大戦後は、各国通貨をドル為替に上下1パーセントの枠内に固定するブレトンウッズ体制として国際通貨体制が確立されることになります。1 oztr = $35で、たとえば邦貨なら$1 = ¥360と間接的に金量に固定されるわけです。金為替本位制というようです。そして1971年の金ドル交換停止、短命なスミソニアン体制をへて最終的に1973年からの変動相場制へと移行し現在にいたるのです。金本位制の歴史はWebで検索すれば多くの記事がでてきます。ともかく、ざっとふりかえってみても、国内で金鋳貨が流通していた期間は比較的短いのに対して、国際的にはかなり最近まで貨幣は金との結びつきを保ってきたことがわかります。

固定相場制の時代

ということで、あらためて、本来の貨幣は金鋳貨なのか、紙券なのか、どうでしょうか。

高度成長期になってもなお、本来の貨幣は金なのだという主張は、現代資本主義論を論じる一つの有力な立場として維持されていました。戦後の高度成長期、金鋳貨はもちろんはるか昔の話でしたが、国際的にはIMF体制の固定相場制がその好調な基盤を提供していたとみなすこともできたのです。そして、60年代後半にインフレーションが昂進しやがてポンド危機・ドル危機が生じるようになると、こうした通貨危機は辛うじて保たれた本来の貨幣との結びつきとで論じられたのです。間接的であれ金との結びつきがインフレーションに歯止めをかけてきたのだという主張もそれなりの説得力をもっていました。

大内力『国家独占資本主義論』(1970年)は私が大学に入学した年にでたのですが、実は高校生2年の時、東大駒場祭で大内先生がこの本の第7節の「腐朽化」について話すのを友達に誘われていって聴く機会がありました。20名くらいがやっと入れるゼミ室のようなところだったと朧気に記憶しています。それはともかく、本来の貨幣は金であり、これから逸脱した現代の貨幣は金融を膨脹させ不安定と混乱をもたらすのだというタイプの資本主義批判は、変動相場制に移った後も繰り返されることになります。本来の貨幣からの逸脱は資本主義がもはや資本主義であるギリギリのところまで追い込まれている証しだという論法で、資本主義の終焉論の一つの典型です。

変動相場制の時代

ところが変動相場制に移行して、かれこれ50年あまり、たしかに日本のバブルやリーマンショックなど、混乱は繰り返されるわけですが、それでも資本主義的発展は続いているわけで、金貨幣から離れたら資本主義は終わるといえないようにもみえます。逆に1929年の大恐慌からして、金貨幣にとらわれていたがために長い不況を招き戦争への道につながっていたのだといった主張が評価されるようになります。

こうした立場を徹底してゆけば、紙券のほうこそ本来の貨幣であり、金貨幣は未発達な貨幣であるという理解につながります。極端にいえば金貨幣はいわば未開社会のアニミズムの名残でしかない、あるいは昔の経済学者の誤った妄想にすぎない、ということにもなります。少なくとも、『資本論』は物々交換から貨幣が発生するといっているといった誤解ないし思い込みも含めて、金貨幣こそ本来の貨幣であるという「通説」を批判するさまざまな見解が簇生しているのが現状ではないかと思います。

こうした貨幣観にたって実際の経済政策のレベルでも、不況対策としてとくに国債に依拠した財政支出拡大が可能であるという主張が注目されるようになっています。この貨幣と国債の関係については後で述べることにします。中味に立ちいると、実は千差万別の観があり一口に語ることはできないのですが、ただいずれにせよ、本来の貨幣が金貨幣ではないという「ない」で一致する主張が強まっているのはたしかです。

変容する貨幣

しかし考えてみると、貨幣をめぐる歴史的現象に対して、「本来の貨幣」は金貨幣か、紙券か、どっちなのか、という問題の立て方にそもそも難点があったのではないでしょうか。歴史を遡れば、貨幣(的なもの)の使われ方は実に多種多様です。単一の起源 origin があるとは思えません。ある説をたてればいくらでも反例をあげることはできます。金貨幣、あるいは金属貨幣が、貨幣の起源だといえば、そうでない事例はいくらでもあげることができます。いや、租税のようなかたちの一種の債権債務関係が起源だといえば、そうでない事例は山ほどでてきます。金貨幣、金属貨幣と、紙幣、信用貨幣など、それ以外の貨幣と、そのいずれが先に発生したのか、という問いは解答不能で無意味なものです。

歴史的な現象をみるかぎり、使える貨幣、目に見える貨幣は、いろいろなかたちをとります。しかし、それでもそれらは、人それぞれに“貨幣だ”と漠然と考えられているのです。そうでなければ、どっちが「本来の貨幣」か、などという議論にはなりません。この漠然とした「貨幣らしきもの」を「貨幣なるもの」として、だれもがわかるように定義することが理論の仕事です。このように定義された「貨幣なるもの」が、それぞれの時代が課す条件によって、金貨幣となったり、現代の不換銀行券になったりするわけです。「本来の貨幣」というと歴史的な起源 origin を連想させるので、この「貨幣なるもの」を「コア貨幣」とよぶことにします。この抽象的な貨幣の概念はどのように組み立てたらよいのか、ともかくコア貨幣をもとにその変容として現代の貨幣を捉えようとする新たな試みが、たとえば前掲江原(2024)等など、少しずつ登場しはじめている状況です。ただ純粋な理論にこれ以上立ちいると難しくなるので、ここでは、「貨幣は変容する」という観点に立ったとき、目の前の日銀券がどのようにみえてくるのか、考えることで新しい理論を組み立てることの必要性を多少なりと感じてみたい思います。

日銀券を理解する

出口と入口

今日のコア貨幣は日本でいえば日銀券です。円で価格をつけるということは、日銀券をもってくればいつでも売ると宣言することです。値づけに使われているのは、支払債務の決済が無条件に可能となる日銀券で、日銀券の額面で商品の値打ちは表示されるわけです。この日銀券は、だれかの手からだれかの手に、日々、時々刻々、持ち手を変えてゆきます。私たちはたいていこのような持ち手変換の局面しかみていません。だから、人が受けとるから自分も受けとるのだ、といった程度のことしか考えつかないのです。

しかし日銀券のカレントはエンドレスではありません。このカレントは商品のサーキュレーションとは違います。日本語だと両方とも「流通」になってしまうのですが、実はここに大きな問題があります。詳しく知りたければ小幡『経済原論』56頁以下をご覧ください。しかし、カレントにもやはり、始めもあれば終わりもあるのです。日銀からでて日銀に戻るのです。

ばら撒けるのか

ではどうやって日銀からでるのでしょうか。「それは日銀が地下の輪転機で刷って…」(刷るのは独立行政法人印刷局です。出版社が自分で印刷しないのと同じです。それはともかく)「それから?」「ばら撒いた。」「そんなバカな!」「いや、たしかに日銀がばら撒くのじゃないけど政府がばら撒くのだ。」(実はここに飛躍があります。考えてみてください。)「どうやって?」「ウム….」こんな愚かなことは言わないとは思いますが、それでもなんとなく“ばら撒く”のだろうと思っている人は一定数います。

さらに質問してみましょう。「でもばら撒いている現場を見たわけではないでしょ?」「そりゃそうだが、ばら撒いているみたいなものだといっただけ、一種の比喩だ。杓子定規の石頭じゃ話にならない。」けっこう逃げ腰になってきました、もう一押し。「比喩…けっこうでしょう。でも比喩と錯誤は紙一重。“ばら撒く”というのは、紙一重の差で錯誤なのです。」追い詰めると苦し紛れにホンネを吐露します。「だってタダの紙切れなのだから…」。こうした人は、実は逆説的に「本来の貨幣は金貨幣だ」という観念に囚われているのです。「金貨幣は金がなければつくれない、だからばら撒くわけにはゆかない。でも紙幣はほとんどコストがかからないのだからタダ同然、だからばら撒いたも同然なんだ…」つまり比喩だ、同然だと杜撰な飛躍を繰り返して一生懸命思い込んでいるだけなのがわかります。(注意:日常の会話で相手をこんなふうに追い詰めるのはやめましょう。みなさんはオトナですから充分心得ていると思いますが人間関係を破壊します。老婆心ながら。)

バランスシート上の日銀券

正解を知るには日銀の毎旬営業報告をみるのが手っ取り早いでしょう。Webでアクセスしてみてください。昔は「資産」が大文字のTの左側に「負債・純資産」が右側にヨコに並べて表示されていたのですが、いつの頃からか、こんなタテのかたちに変わっていました。ちなみに「純資産」のところも昔々は「資本」だっと記憶しています。いわゆる貸借対照表、バランスシートです。会計学では、左側を「借方」「デビット」といい、右側を「貸方」「クレディット」というそうで、総額が左右で一致しているはずです。752, 846, 874, 490は約750です。最初のカンマが兆 trillion 円です。日銀券はどこにでてくるかというと負債のところで、「発行銀行券119, 337, 175, 498」です。約120兆円が市中に存在する日銀券の総額です。

日本の人口を1億2000万人とすれば一人あたり約100万円の日銀券をもっているということになります。4人家族なら400万円、銀行預金ならこのくらいあっても驚きませんが、ナマのかたちでとなるとちょっと???です。どこにあるのか?金庫を開けたら札束がびっしり、なんていう会社、あり得ません。

銀行だって日々の引出に応じる最低限の日銀券しかもっていません。必要以上の日銀券はどうするのかというと、すぐに日銀に預金します。それが「当座預金 549,420,727,599」千円です。当座預金といっていますが、リーマンショックのあと2008年でしたか、そのころから基本的に付利です。マイナス金利というのは、この当座預金の一部に適用されるものでした。銀行は利子を生まない日銀券を自分の金庫やATMに残しておくより、とりあえず僅かとはいえ利子が付く日銀に預金します。だから、民間企業も銀行も、こんな大量の日銀券をもっていないのです。

一万円札1枚の厚さが0.1mm として10万円で1cm, 100万円で10cm, 1000万円で1m, 1億円で10m, 100億円で1km, 1兆円で10km, 120兆円で1200km! 東京から大阪まで行って戻ってくる長さの120兆円、どこに実在しているのやら、だれがもっているのやら、ちょっと不思議です。

日銀に預金する

それはともかく、日銀券が出入りするのは市中銀行の預金の引出・預入でしょう。とはいっても、日銀券がそんなに頻繁に移動しているようではありません、ここを見張っていたかぎりでは。入口に「戸田分室」と小さく書いてありますが「発券センター」です。ただいずれにせよ、市中銀行は裏側で日銀とつながっていて、日銀による預金→市中銀行の日銀預金(+) → 発券残高 (−)、逆に、預金引出→市中銀行の日銀預金(−)→ 発見残高 (+)となるわけです。要するに、市中銀行は余分な日銀を預金するのです。

もちろん、市中銀行も日銀券をいくらかは手元に保有しているのですから、100万円引きだしたら、その100万円だけ日銀当座預金が取り崩されるとはかぎりません。100万円預金すれば日銀当座預金が同じ額だけ増加するわけでもありません。ただ、日銀券は日銀に対する直接の債権であるのに対して、市中銀行に対する預金は、市中銀行の日銀当座預金というかたちで、日銀に対する債権に– 間接的にですが!– つながっているとみなすことができるのです。日銀からみれば、日銀券も「市中銀行の日銀当座預金」も両方とも「負債」です。

市中銀行に預金する

民間企業も、最近では個人も、余計な日銀券があればとりあえず銀行に預金するのではないでしょうか。銀行預金が口座振り込みで支払に広く使えるようになったからです。利子は限りなくゼロでも、振り込みサービスがタダだったときはとくにそうでした。最近、このサービス料金が高くなり、銀行の収入源になっているようです。銀行も利鞘で稼ぐ時代から送金サービス業者になってしまったのか?と思うほどです。

こうして銀行預金が「預金通貨」としての性格を強めれば、預金から日銀券を引きだして手交し、またこの相手が銀行に預金するといった回り道をする必要はなくなり、高額取引では日銀券の出番はなくなってゆきます。これはここ二、三十年ほどでしょうか、私のように銀行におよそ縁のなかった者も、知らず知らずのうちに銀行振り込みに馴らされたにように思います(…なのに120兆円も日銀券が実在するのがどうも不思議?)。

いずれにせよ要するに、法貨は日銀券ですが、即座に銀行券になりうる預金も、ともに日銀に対する債権で支払=負債の決済をしているという点では区別する必要がない貨幣、つまりコア貨幣だということになります。

ここまでで日銀券は、人が受けとると思うから自分も受けとるといったかたちでぐるぐる回っているだけではなく、出口と入口があるという話をしました。日銀に戻ってきたクシャクシャの日銀券は裁断され廃棄されるはずです。まさか地球釜で再生するなんていうことはもうしていないでしょうが、日銀当座預金から市中銀行が引きだす日銀券の多くは刷り立てのピン札になっていると思います。以上は、すでに存在する日銀券の出入りの話です。

日銀と市中銀行

以上のことがわかれば、日銀券がどのように新たにこの世に生まれでるのか、つまりその量が増えるか、もわかります。日銀券と銀行預金は同格であり、その総量は市中銀行の貸付で増加します。貸付で預金が増えて、ここから先ほどみたルートで日銀券が引きだされるのです。

市中銀行のバランスシートは全銀協のホームページからダウンロードすることができます。基本は日銀のバランスシートと変わりありません。市中銀行の資産の部の「現金預け金」のうちの「預け金」の総計が、日銀の負債である当座預金になるかたちでつながっています。市中銀行が内部にもっている日銀券は、資産の部の「現金預け金」のうちの「現金」でしょう。いろいろ細かい話があるようでゴチャゴチャしていますが、全部無視して思い切り単純化してみます。

日本銀行(2023)

国債 580兆 日銀券 120兆
ETF等 50兆 日銀預金 550兆
貸付金 110兆 その他 67兆
その他 10兆 資本 13兆
資産 750兆 負債・資産 750兆

市中銀行のかたまり(2023)

日銀預金等 400兆
国債等 270兆 民間預金等 1100兆
貸付金 700兆 その他 340兆
その他 100兆 資本 60兆
資産 1500兆 負債・資産 1500兆

さらに日銀のホームページにある「部門別の金融資産・負債残高」をみると、借り手貸し手の全体像を鳥瞰できます。

市中銀行の貸付

日銀券が市中に出入りするのは銀行の預金を通じてです。銀行の貸付は預金を設定することでおこなわれますから、日銀券が追加的に増えるのは銀行の貸付によることになります。このとき、貸付額が100万円でも預金は95万円にしかならず、この差額5万円が、もし100万円が期日にちゃんと返済されれば、銀行の利益になるわけです。タダでは貸さない、当然のことです。借り手が支払のために日銀券95万円が引きだされれば、すでにみたようにこの銀行の負債である預金が減ると同時に、資産である日銀券95万円が減り、さらにそれを補うためにその銀行が日銀当座預金から減った95万円の日銀券を引きだせば、発券残高が95万円増え日銀当座預金が95万円減少することになります。つまり、全体をとうしてみると、貸付をおこなった市中銀行の資産のなかで、日銀当座預金95万円が100万円の貸付債権に変換されたかたちになります。支払に使用された95万円の日銀券が別の銀行に預金されれば、その銀行では逆の過程を通って日銀に戻ってくるので、発券残高が95万円減りその銀行の当座預金が95万円増えるでしょう。

同じ銀行に預金したらどうなるか、とか預金されずに借り手・貸し手のもとに日銀券がとどまったときはどうかとか、細かい話はいろいろありますが、原理は単純です。貸出によって預金通貨が生まれる、預金通貨の引出によって日銀券は世の中にでてくる、これが基本です。

銀行はタダで貸しません。危ないところにももちろん貸しません。期日までに元本はもとより利子もちゃんと支払える相手に貸すのです。借りるほうは、いま手元に貨幣がないから借りるわけですが、期日には貨幣になる何かがあるから、つまり期日までには売れているはずの商品が存在するから、銀行は貸すわけです。これから商品の販売によって手に入るべき100万円を貸付債権(銀行からみれば「資産」)として、これに対応して95万円という預金(銀行からみれば負債)を設定するのです。バランスシートの左と右、借方と貸方、デビットとクレディット、債権と負債の両建てです。一方的に預金だけを与えるわけではありません。

預金の裏にあるもの

95万円の預金の裏側には100万円の確実な債権という資産があり、この債権の裏側には期日までに確実に売れるいま存在するか、あるいは少なくとも、借りた貨幣で生産され販売される商品が確実にあるか、が前提となります。これを無視して無謀な貸付をおこない、不良債権が銀行の資本(純資産)を超過するようになれば、銀行は自己の負債である預金が資産を上まわることになり、取付 bank run が発生し破綻します。確実な貸出先が増えないかぎり、貸出による預金は基本的に増加しません。

ただ、どこまでが不良債権かにはグレーゾーンがあることは、バブル崩壊後に目撃したとおりです。銀行が追加貸出を停止する不良債権が顕在化する、利払い分を追加で貸し出し、元本分の借り換えを許すかぎり、債権の焦げ付き(回収不能)は防げます。銀行が見放さないかぎり、相手は倒産しない。しかし、こうしてズルズル不良債権を抱えていると、銀行の利潤が減少し自分自身が経営悪化に陥り、やがては預金引出を招き、破綻しかねない結果になる。痛し痒しです。1990年代にみた長引く不良債権処理と大銀行の整理統合の悪夢です。

繰り返しますが、銀行券が“タダでばら撒かれる”という人は、この原理がわかっていないのです。日銀は民間に直接銀行券を渡すことはありません。市中銀行を通じて世の中にでてきます。

ただ注意!市中銀行は日銀券の単純な通路ではありません。日銀券を引きだすことができる預金を独自の貸付を通じてつくります。日銀券(をいつでも引きだせる日銀当座預金)を貸すのではありません。95万円の預金(負債)を負うことで、100万円の貸付(債権)を資産としてつくりだします。この新たにつくりだされた銀行預金が —日銀券として引きだされて使われようと振り込みに使われようと — 債務の支払というコア貨幣の役割を果たすのです。つまり、市中銀行も預金のかたちでコア貨幣をつくれるのです。

さらに注意!ただし、それはちゃんとした貸付をするかぎりにおいて、です。まともな借り手、利子が払えるだけの収益を確実にあげられる借り手がいなければ、貸付→預金 というかたちで、コア貨幣の量を増やすことはできません。ということは、コア貨幣を増やす潜在能力をもつのは借り手の資本のほうだ、ということもできます。むかし真正手形主義というのがありましたがそれに近いことになるのかも。

いくら銀行が日銀預金があまっているから、それを一般の借り手の貸付に転換しようとしても、危なっかしい借り手ばかりじゃ、やはりそれはできない相談だということになります。日銀券がばら撒けないのと同じで、市中銀行も勝手に貸付で預金を増やすわけにはゆかないのです。現代のコア貨幣である日本銀行券、あるいは銀行預金については、まだまだ、お話ししたいことはあるのですが、時間がないのでこの講義ではここまでとします。

膨脹する国債

日銀の国債保有

この10年あまりで日銀のバランスシートは大きな変貌を遂げました。最大の変化は、何といっても保有する国債が大きく増加し、ほぼこれに見合う額の市中銀行の当座預金が積み上がったことです。ここではこの現象だけに焦点をあてて、現代の貨幣について考えてみます。

参考までに、2012年のバランスシートを極端に単純化してつくってみました。2024年のものと比べてみてください。「資本」や「貸付金」は2014年を外挿したもので、全体としていい加減なものです。ごくごく大雑把に概数を抑えておきたかっただけです。ETF
や RIET などには立ちいりません。Webなどで調べてみてください。

日本銀行(2013)

国債 90兆 日銀券 87兆
ETF等 1.6兆 日銀預金 47兆
貸付金 26兆 その他 18兆
その他 40.4兆 資本 6兆
資産 158兆 負債・資産 158兆

市中銀行のかたまり(2013)

日銀預金/券 50兆
国債等 250兆 民間預金等 670兆
貸付金 500兆 その他 120兆
その他 240兆 資本 50兆
資産 940兆 負債・資産 940兆

国債の発行額は、ざっとみてこの期間、400兆円くらい増加するのですが、ほぼそれに対応する金額だけ、日銀の保有する国債が増加し、それに対応する額だけ市中銀行の当座預金も増加したのです。日銀が国債を直接引き受けることは禁止されているのですが、市中銀行を中心とする金融機関がいちおう競り落とした新規国債を間髪入れずに日銀が購入した結果です。現在市中銀行が保有する有価証券270兆中で国債は80兆円ほど、地方債が26兆円ほどです。要するに市中銀行が保有する分はほとんど変化がなく、10年間に発行された部分がほぼ日銀に吸収され、1000兆円強の国債累積額の半分以上を日銀が保有する結果となったわけです。

国債の償還と利払い

先ほどみた財務省のWebページは国債累積を印象づけ均衡財政策に誘導するためのものだと非難する人もいるわけですが、データとしては正しいと考えてよいでしょう。ざっと眺めてみてわかるように、1973年のオイルショック後の発行されたピンクの赤字国債は、1990年頃に一度なくなるのですが、1996年の住専国会で不良債権処理に7000億円の税金投入をきめたあたりから再び発行されるようになり、小泉政権のときには均衡財政の目標も利払い分を除いたレベルに引き下げられ、リーマンショック、東日本震災、コロナショックと「100年に一度」を連発するなかで毎年30兆、40兆円の国債発行が常態化することになったようです。財政均衡が達成されたとしても、国債が償還され累積額が消滅するには長期間を要するわけです。況んや均衡財政といっても、利払分は国債発行でまかなうかたちのものであれば、その分だけ国債は累積してゆきます。

2024年度の一般会計122.5兆のうち、国債による収入が35.4兆、これに対して、国債の償還に17.3兆、利払いに9.7兆が計上されています。つまり真水は35.4-17.3-9.7=8.4兆ほど、つまり35.4兆ほど国債残高が増えているのに、社会保障費や防衛費などの増額など使えるのは1/4ほどの8.4兆になっています。国債残高が累積しあるいは長期利子率が上昇すれば、真水をえるために必要な新規国債発行額はどんどんふえてゆきます。過去を無視すれば、赤字国債35.4兆が追加的に使えそうに見えますがそうはゆかないわけです。8.4兆円の真水をえるために35.4兆円の国債を新規に発行し、これをほぼ日銀が吸収するという関係が十数年続いているわけです。仮に利子率が変わらないとしても、来年はおなじ8.4兆円を確保するには,残高増にようる利払い額の増加+満期を迎えた国債額の増加によって、今年の35.4兆円を上まわる新規発行が必要になります。このどんどん増額するう新規国債を、いままでどおり、発行市場で消化した後すぐに日銀が買い取り続けることが可能だとは思えません。日銀に支払われる国債利子は、日銀の利潤となるので、その年の剰余金として国庫に還流させることはできるかもしれません。しかし、日銀の保有する国債が幾何級数的に膨らむとき、それとともに増加する日銀当座預金に支払われる利子部分は国庫に還流しなません。いずれにせよ、幾何級数的に増大する国債残高が金融市場全体に何の影響も与えないとは考えられません。

目詰まり

ただ、今回ここで考えてみたいのは、国債が限度なく発行できるかかどうかという問題ではありません。いちおうできると仮定しても生じる、現代の貨幣に与える影響です。この10年間、日銀は国債保有を増やしながら、同時にその当座預金を増やしてきました。銀行券のほうはせいぜい1.5倍ほどですが、当座預金のほうは5倍くらいにはなっています。ところが、全銀協のホームページを見ると、2013年12月の全国銀行116の貸出金はおよそ440兆円、2024年9月末の全国銀行110の貸出金は590兆円くらい、市中銀行の貸出金の増加にはほとんどつながらなかったようです。市中銀行は増加する負債側の民間預金を資産側の日銀当預の増加でバランスさせ、0.1パーセントの預金利子を稼いでいたのです。負債側の預金利子が0.01パーセントくらいですが、これで確実に利鞘がえられたので、コストをかけて優良な借り手をみつけるという銀行本来の役割がスポイルされたようにみえます。

「できること」と「できないこと」

日銀と市中銀行全体を一体のものとして、このザ銀行が銀行券と預金というかたちで、現代の貨幣を形成していると考えると、ザ銀行の内部でどんなに当座預金が膨らもうと、それが日銀券+預金の額を増加させないことに問題があるのです。こうなる理由はすでに述べました。市中銀行にとってちゃんとした借り手がいないからです。低金利にして貸せば、ちゃんとした借り手になるのだという人もいるのですが、それはちょっと甘いのです。バブルのときはこのような理屈は通ったのかもしれませんが、けっきょく高いツケを払わされたことは覚えておいたほうがよいでしょう。

旧いマル経と笑われるかもしれませんが、何度もすがたを変えてつぎつぎに登場する新規な理論のほうも10年とたないようです。高度成長期に隆盛を極めたケインズ経済学、それを批判して台頭したマネタリズムの貨幣理論、それを批判するでもなくいつの間にか定着したリフレ派の理論、さらに財政赤字を積極的意義を説くMMTの貨幣論、いずれもその時どきの政策イデオロギーの要請に応えた暫定的な「理論」という性格のものにみえます。つまらない結論になって申し訳ないのですが、金融は産業を補助するものであり、金融政策で産業をコントロールすることには自ずと限界があるのです。貨幣的な操作で景気を調整できるという主張は、選挙のときには“役に立つ経済学”として歓迎されるのですが、学問的にはどうも怪しいように思えます。

現代の貨幣に関しては、貨幣と資産の関係、市中銀行の資産の役割、預金額の増減と物価変動の関係などなど、まだまだお話ししたいことはあるのですが、時間が限られているので、本日はこれにて終わりということにいたします。

といいつつ、いかにも中途半端なので、ひと言付け加えておきます。中途半端というのは、「貨幣の正体」ということでかなり原理的な話をしながら、それが後半であまり活きていないからです。結論のみなのですが、こういうことになります。貨幣はずっと交換手段だ、流通手段だ、というように、商品のフローを媒介する手段として理論的には説明されてきました。「貨幣の正体」のところで強調したのは、貨幣は何よりもます手段ではなく目的であり、価値のある資産としてもたれるのだという点、そしてその資産の価値を表示する役割を第一の機能としてもつということでした。「日銀券を理解する」で強調したのは、日銀券あるいは銀行預金というかたちをとる現代の貨幣も資産としてもたれているのであり、これらの「債権」が資産たりうるのは日銀あるいは市中銀行のがわの「資産」がしっかりしているからだということです。「膨脹する国債」では実はこういう話をしたかったのです。日銀が累積する国債を次々に吸収し、それに対応して日銀当預が増大すると何が起こるのか。流通手段的な貨幣観をもつ人は、貨幣で買われる商品価格が上昇すると答えるのではないかと思います。しかし、貨幣が第一に資産だと考える者は、資産の価値が高く評価されるようになると考えるはずです。つまり、株式や土地のような転売される資産型商品の価格だけ上昇することになるのだと、この部分の話を本当はちゃんとしたかったのですが、機会があれば詳しくお話ししてみたいと思います。

世田谷市民大学2024第2講

現代とは:変わりゆく資本主義

はじめに

前回は、資本主義はどのようにはじまったのか、という問題について考えてみました。『資本論』は資本主義の起源を「資本の本源的蓄積」として論じていました。蓄積というと貨幣を貯める話かと思いきや、基本は「鳥のように自由なプロレタリアートの創出」だという話でした。いくら貨幣をためてもそれだけでは資本主義にはならない、富を生みだす労働力の商品化こそ資本主義の起源となるのだというわけです。この過程が典型的に進んだのはイングランドであり、しかもそれにはずいぶん長い時間がかかったというのです。ただこの一国長期説にはいろいろ問題があるということで、農業資本主義やグローバルヒストリーなどにもふれてみました。いずれにせよ「起源」は終わった「過去」ではない、「現代」を照らしだしているのだ、これが第1講の主旨でした。

今回はこの起源が現代にどのようにつながっているのか、この間の歴史について考えてみたいと思います。資本主義は、起源から現代まで一直線で結ばれているわけではなく、途中に屈折点をもっている、ひと言で資本主義といっても、その資本主義は変わるのだという話です。変わるといっても連続的に少しずつ変わるのではなく、一つの状態から別の状態にいわば構造転換する、変容するわけです。前回、1970-80年代以降を「現代」と定め、この時代の資本主義を「現代資本主義」とよぶといったのですが、この変容という観点から「現代」のはじまりを考えようというわけです。

資本主義の発展段階

収斂説

前回は『資本論』の資本主義論について立ちいって話してみました。そこには「資本主義が変わる」という発想はありませんでした。いやあるという人もいると思いますが、それは一方向に進んでゆく連続的な変化で、途中で別方向に転換するわけではありません。『資本論』は亡命先のロンドンで執筆され、当時のイギリスを主たる対象にしていますが、ドイツ語で書かれています。『資本論』は第1部刊行当時のイギリスの経済情報がふんだんに盛り込まれています。大英図書館の余得というべきか、『資本論』が大部なのは一つにはこのせいで、もう一つは膨大な量の文献が博覧強記の著者により参照されているせいです。これらはドイツ語圏の読者には、先進国イギリスでしかえられない貴重な最新情報だったはずで、他に類をみぬ著作になるはずでした。

とはいえ、イギリスという他国の状況を知ることにどんな意味があるのか?次の有名な「序言」の一句がその答えになります。「産業のより発達した国は、発展の遅れた国に対して、ほかならぬその国自身の未来の姿をしめしている。」(Werke 23, S.14)ドイツも資本主義になると、やがて今日のイギリスのように、一方で生産力が急速に増大しながら他方で産業予備軍が累積し階級闘争が激化するというのです。これはドイツにかぎりません。どの国であれ、産業の遅れた国は進んだ国と同じ軌道を突き進みやがて一つの究極の姿にゆきつくという見方が基本にあるのです。

「現代」の起源

収斂説にたつかぎり、あえて「現代」という意味はありません。ずっと同じ傾向が貫いているわけですから違いは程度の問題です。資本主義になぜあえて「現代」をつける必要がでてくるのか。それは、これまでとはっきり違う別の傾向が現れたからでしょう。現代資本主義という新たな発展段階に達したというわけです。『資本論』という書物が西ヨーロッパ世界で読まれた時代は、資本主義の歴史的な構造転換の時代でもあったのです。このことは、『資本論』の「読まれ方」をみてみるとわかります。

『資本論』は今でこそ全三巻からなると思われていますが、そろって一度に刊行されたわけではありません。第1部の初版の刊行は1967年、改訂版の第二版が1873年、そのフランス語訳は1874年から分冊でました。つまり独仏では、前回お話したように、それ自身で完結性をもつ第1部が先に刊行され、そうしたものとして読まれたわけです。これに対して、英語訳がでるのは1887年で初版から数えて20年後です。英語圏の読者は、明治維新の頃にでた本を大日本帝国憲法が発布された頃に読むことになります。そして第2部、第3部となると、1883年に著者マルクスが没した後、残された草稿をエンゲルスが編集するかたちで1885年と1894年に刊行されたのです。第1部と第2,3部の落差はちょっと眺めただけでもわかります。前者にみられた膨大な文献参照や長い註記は後者では影を潜めます。こうした事情もあり、リアルタイムで『資本論』を読んだ西ヨーロッパの人々の間に、「労働価値説に基づく搾取論+剰余価値の蓄積の帰結としての窮乏化論=『資本論』」という固定観念が形成されていったのは、ある意味、やむを得ないことでした。

しかも第1部初版から第3部で完結するまでかれこれ27年が経過しています。四半世紀もたてば「現代経済の基礎知識」だって色あせてしまうでしょう。2024年という今から27年前といえば1997年、山一証券が倒産した年です。夢よもう一度という思いも虚しく消えて、もうバブル以前には戻れぬことにだれもが気づいたあの年です。福祉国家型社会も日本的経営も、アッという間に新自由主義の津波に押し流されていったのでした。『資本論』の場合も同様で、現実は『資本論』に描かれた姿から大きく様変わりしていったのです。だから『資本論』第1部がでたころには — 「現代」と冠することこそなったものの –すでに『資本論』を拡張する試みがはじまっていました。

事実、イギリスでは、第1部刊行直後の1873年恐慌を契機に、『資本論』に描かれた10年周期の循環的拡張に変わり「大不況」Great Depression とよばれる長期不況が20年あまり続くことになります。1873年といえば、奇しくもちょうどその100年後、1973年にオイルショックが起こることになります。『資本論』第2部の草稿のなかにはこの時期に書かれた部分がいくらか含まれているのですが、こうした変調というものはそれが終わった後にはじめてわかるもので、そこに大不況の分析を見いだすことはできません。いずれにせよ、この時期に産業革命にはじまるイギリス綿工業を基礎とする自由主義的な経済政策も大きく変わっていったのでした。

『資本論』ではフランス経済にほとんど論及していませんが、少なくともナポレオン三世の第二帝政の時代になると、オスマンのパリ改造など公共事業や、株式を利用した全国的な鉄道網の急拡大など、伝統的な絹工業などを中心とする資本主義とは明らかに異なる、ある種バブル的色彩を帯びた発展を遂げるようになります。『マルクス・エンゲルス全集』などをみると、サン=シモンの影響をうけたペレール兄弟によるレディ・モビリエの銀行破綻など、合衆国の新聞への寄稿などのかたちでいろいろ論じられているのですが、『資本論』には反映されていません。Émile Zola(1840-1902) の L’argent(1891) という小説が『金(かね)』という邦題で訳されおり、これを読んでいたら、ちょうどこの時代が舞台で、なんとパリ証券取引所を小窓から毎日眺めその破綻後の世界を夢見るマルクス主義者のシジスモンという人物まで登場してちょっと驚きました。彼の主張も数ページにわたり紹介されているのですが(訳書52-4頁 546-8頁)、その内容は『資本論』第1部に基づく未来社会像になっています。この小説が出版されたのは1891年ですから、まだ第3部はでていません。だから第3部でクローズアップされる「利子生み資本」論などは当然知らないわけで、彼が目撃している証券取引所と彼の資本主義論とにはギャップがあります。

こうしたフランスのバブル経済は、ナポレオン三世が仕掛けていった普仏戦争(1870-71)にフランスが敗北し、マルクスが『フランスの内乱』Bürgerkrieg in Frankreich(1871)でエールを送ったパリコミューンの運動がおこるなかで、頓挫するわけです。この戦争に勝利したプロイセンがドイツの統一を進め(帝政ドイツ)、ベルリン会議(1884-85)における「アフリカ分割」などを通じ植民地拡大を図るとともに、後にヒルファーディングが『金融資本論』Das Finazkapial (1910)に描いた巨大銀行と癒着した重化学工業の発展がはじまるわけです。

このあたりの英仏独の絡み合いは『資本論』を読んできた私には面白いのですが、「現代資本主義論」といいながら昔の話ばかりじゃないかと苦情がでそうなのでやめます。申しあげたかったのは「資本主義は変わる」「それ自身変わる」ということです。だからどんな「資本主義論」もつねに「現代・資本主義論」とセットになる、理論と現実というセットになる、という点だけ理解していただければひとまずここはOKです。

「日本は資本主義なのか」

問題は、日本における『資本論』の「読まれ方」です。また昔の話かと思われるかもしれませんが、いま現代資本主義論を語るうえで欠かせぬ観点がでてくるので、この点にかぎり、簡単に解説してみます。「発展段階」という観点です。もちろん発展段階自体は唯物史観以来ずっとある捉え方ですが、資本主義が一つの発展段階であるだけではなく、その資本主義の内部にもさらに「発展段階」があるという考え方です。これは収斂説からはでてきません。

さて、日本で『資本論』がどのように受容されていったのかですが、これもこういうことを専門に調べている方がおり、下手に何かをいうとたちまち「そりゃ違う!」と叱られるのですがここでは細かい話はさておき、ザックリいって関東大震災のちょっと前のころに訳本がではじめ(高畠素之訳 1920年)、昭和初期には廉価本のかたちで普及した(同 改造社版 1927年)といわれています。『資本論』初版がでてからほぼ半世紀後ということになります。

明治維新からかれこれ50年が経過し、とりわけ第一次大戦後の好景気に沸くなかでロシア革命を目撃した大正末期から昭和初期に『資本論』を読めば、日本の現実をそこにどう位置づけたらよいのか、大きな謎が発生します。一方には、低賃金を利用した製糸業や綿工業のみならず、欧米の先端技術を導入した製鉄業や造船業も具えながら、他方で農村に零細自作農や小作農が大量に存在し高額な地代に苦しんでいる、いわば二重構造になっているわけです。比較する場所によって、似ているといえば似ているが、違うといえば違う、ということになります。『資本論』にかぎらず一般に、欧米の社会を対象とした書物を読んで、日本の現実(その時代の「現代」)と比較するとき繰り返される問題です。「違う」は、時間的な前後関係である「遅れている」に置き換えられたり、逆に独自性が強調され「優れている」にひっくり返されたりすることになります。

「日本は資本主義になったのか」、『資本論』を基準にしたとき、まだ資本主義とはいいがたいという講座派と、曲がりなりとも資本主義だという労農派の間で展開された「日本資本主義論争」は、私が学生の頃でも語り草で、日高普他著『日本のマルクス経済学:その歴史と理論』上・下(1967,1968年)でその概要を学びました。この後に述べる宇野弘蔵の方法論を支持する人々の共著ということもあり講座派に厳しすぎる印象もありますが、当時の『資本論』の読まれ方を知ることができました。その内容に立ちいる余裕はありませんが、ここで注目してみたいのは、半世紀まえに西欧で刊行された『資本論』を50年後に極東の島国で読むという読書経験の予期せぬ効果です。

ポイントは二つあります。一つは『資本論』のなかでも理論的な側面が強調され一般化されたことです。『資本論』のウリは19世紀の発展するイギリス資本主義の現実が豊富な資料で生き生きと描かれている点でした。ただそれを地理的にも歴史的にも大きくへだった日本の現実に当て嵌めようとしても無理なのはすぐわかります。直接比較すれば、ここは似ているがそこは違うといった水掛け論が関の山、日本は資本主義だといったどっちつかずの結論しかでてきません。そうした部分的な現象の比較ではなく、そもそも資本主義とはどのような骨格をしているのか、その全体像を読みとり、なにが資本主義たるか否かを判別するメルクマールになるのか、はっきりさせなくてはなりません。要するに一つ目のポイントは、きわめて理論指向の読まれ方がなされるようになったという点です。

『資本論』は大部の本でして、はじめから終わりまで読み通すのはたいへんです。私も大学生のとき通読しようとして挫折しました。実は浪人のとき –1969年でした– 宇野弘蔵という人の『経済原論』という大学の教科書を先に読んでしまいました。旧版と新版があるのですが新版のほうです。全部で200頁ちょっとしかなく、しかも全体が三篇三章三節に整理されているので目次はすぐに記憶できました。それで大学に入ってから『資本論』を直に読もうとしたのですが、たとえば「労働日をめぐる闘争」とか「機械と大工業」とか、当時のイギリスの現状を詳細に論じた部分だけで第1部の少なくとも三分の一くらいを占めている感じで、こういうのが面白いんだ、という友人もいましたが、正直私はついて行けませんでした。理論的な部分を取りだせば、宇野『原論』ならわずか200頁あまりで全三巻がカバーできるのではないか、理論にとってはどこまで抽象化できるかこそが重要なのだと、密かに思ったのでした。これは極端な読み方ということになりますが、そこまでゆかなくても、日本における『資本論』の読まれ方がこうした傾向を有していたことはたしかです。先ほどどんな資本主義論も「理論と現実のセット」にならざるをえないと述べたのですが、日本では理論指向の読み方によって、「現実」と「理論」の分離がより徹底されたものになったわけです。

もう一つは、『資本論』がはじめから三部構成で読まれたことです。これにより、搾取論+窮乏化論という第1部の資本主義像とは異なる独自の資本主義像が浮上したのです。第1部のタイトルは「資本の生産過程」なのに対して、第2部は「資本の流通過程」、第3部は「資本主義的生産の総過程」です。

第2部では、資本は生産過程だけではなく、商品在庫や運転資金も投じられ、また生産費用とは異なる回収のされ方をする流通費用や回収に長期を要する固定資本の存在などが明らかにされます。\(G – W \cdots P \cdots W’-G’\)という表記は実は第1部にはでてきません。宇野『原論』ではこれを「産業資本的形式」とよび「商人資本的形式」\(G – W -G’\)と「資本的形式」\(G \cdots G’\)とあわせて「資本の三形式」とよんでいます。例のトリプルスリーで、第三篇第三章はこれに対応した三節構成になっています。先に宇野『原論』を読んでしまった私は『資本論』にも当然こう書いてあるものとてっきり思っていたらこれが大間違い、宇野は戦前に『資本論』第2部第一・二篇の解説をしていますが(『資本論体系 中』経済学全集第11卷 改造社 1931年)、そこで得た資本の図式を前方に繰り上げた宇野独自の細工でした。こういう芸当は全三部を一度に読める環境がないとできないことです。因みに同書の第三篇の解説は山田盛太郎の担当で、この「再生産表式」の概念を基礎に講座派を代表する『日本資本主義分析』(1934年)が執筆されることになります。

第3部のほうもついでにみておくと、基本テーマは剰余価値の分配です。第1部では剰余価値が次々に蓄積されることで生産力が急上昇するなかで、貧困が累積するという自己矛盾、内部崩壊が説かれていたとするなら、第では資本賃労働関係全体で形成された剰余価値が、個別資本の競争の意図せざる結果として投下資本に比例した平均利潤として分配され、さらに利子生み資本に対する利子、土地所有に対する地代というかたちで分配される過程が分析されてゆきます。こうして、労働者、資本家、地主という三大階級で構成される資本主義像が描きだされることになります。

ここでも剰余価値の蓄積に生産力の上昇は、原材料などに支出された労働量 c とそれを加工するのに必要な労働量\(v+m\)の比率\[\frac{m+v}{c}\]をどんどん低下させ、この比率を天井にもつ利潤率\[\frac{m}{c+v} > \frac{m+v}{c}\]も長期的には低落せざるをえないという「利潤率傾向的低落の法則」が説かれています。「窮乏化法則」と同様、資本主義のもとで加速する生産力の上昇が破綻につながるというパラドックスです。ただ利潤率に関しては、この長期的傾向とともに、好況期における剰余価値の蓄積につれ、労働力の吸収が進み、賃金の急上昇が剰余価値率$m/v$を減少させ、利潤率\[\frac{m}{c+v}=\frac{m/v}{c/v+1}\]を低下させる可能性も説かれています。つまり、長期の傾向的低下が、利潤率の循環的な上昇・下落をそのうちにもつことが示唆されているわけで、ここに周期的な景気循環を読みとることも不可能ではありません。

また細かい話になってしまいました。面倒だったら途中は忘れてください。要するに『資本論』全三部を通して読むと、資本が労働力から搾取した剰余価値を基礎に、競争的な市場を通じて社会的再生産を編成処理するという大きな構造が浮かび上がってくるというのが結論です。日本における理論に傾いた『資本論』の読まれ方は、市場と生産のダイナミズムを強調する独自の理論を生みだしていったという話でした。こうして、一般的な資本主義の理論に基づいて、資本主義がどう変わったのかというかたちで現代資本主義を論じるのが、日本おける現代資本主義論の特徴となったのです。

理論の使い方

日本のマルクス経済学はこのような理論を基礎に戦後日本の資本主義分析を進めてきました。一つの流れは「独占資本主義」型の現代資本主義論です。主流派といってもよいでしょう。『資本論』第1部の集中集積論を基礎に、第3部の生産価格論や信用論を利用して、資本主義は独占資本主義の段階のいたったとみる立場です。独占資本主義論というのは、すべての資本が独占資本になるというのではありません。もともと「不均等発展」という考え方は、レーニンの『帝国主義論』の第4章「資本輸出」の最初のパラグラフにもでてきますが、これは国家間に生じるだけではなく、国内においても一方における巨大独占と他方における多数の零細資本という分解にも当てはまります。独占資本主義論は高度成長期における二重構造を反映したものとみることもできるでしょう。ただこれは、ある意味で『資本論』の集中集積論を現実に直接適用する方法に基づくものでした。欧米での現代資本主義論もその多くはこの独占資本主義論です。そして戦後の冷戦体制のもとで国家財政が膨脹するなかで、この延長線上に国家独占資本主義論が展開されていったのです。

もう一つの流れは、発展段階論型のアプローチです。独占資本主義型も段階という認識はあるのですが、それは資本主義一般のもつ集中集積という傾向の延長に現れる、いわば程度の問題という面をもちます。発展段階論型は傾向といってもその方向が鈍化・逆転したと捉える立場です。これは日本のマルクス経済学に特徴的な流れといってよいと思います。もちろん、この立場も独占資本ないし金融資本が支配的な資本になったということは認めるのですが、こうした資本が支配的になる資本主義では、財政金融政策や為替管理、関税政策、失業対策や福祉政策などを通じて国家が果たす役割が増大することが強調されます。独占資本主義型がある意味で資本主義の理論を現実に直接適用する面が強いとすれば、段階論型は理論から現実が乖離する点を強調することになります。その意味で、二つの流れは理論の使い方をめぐる方法論的な違いだといってもよいでしょう。

発展段階論型の方法論の代表は、若いときに私がフライングで先に読んでしまった『経済原論』の著者である宇野弘蔵です。『資本論』全三巻を半世紀遅れで日本で読んだ効果がそこにはよく現れています。『資本論』の舞台は、市場の原理が強まり小さな政府が標榜された自由主義段階の英国資本主義であり、19世紀末に独仏や合衆国が遅れて資本主義的発展を開始するようになるとさまざまな非市場的な要素が残存しあるいは増強されるようになり、英国資本主義もこの影響をうけるようになる。資本主義は自由主義段階とは異なる性格をもつ帝国主義段階に移行したのだというのです。段階というのは連続的な延長ではなく不連続な逆転で画される概念です。三つにそろえるのが好きな宇野は、資本主義の生成期である重商主義段階を加えて、資本主義の生成・発展・没落という三段階にわけ、三番目の帝国主義段階においては先発資本主義とは異なるタイプの後発資本主義が登場するのであり、日本の資本主義はこの後者のタイプを基礎に分析する必要があると考えたのです。つまり『資本論』のような純粋資本主義の原理論を直接日本の現実に適用するのは無理なのであり、資本主義の対立するタイプを解明する段階論を媒介に現状分析に進む必要があると主張したのです。

独占資本主義論型にせよ、発展段階論型にせよ、もう少し丁寧に解説するべきかもしれません。ただ独占資本主義型はもとより、発展段階論型でも、現代の現代資本主義論に間に合わないというのが、この講義の基本的な立場なので、これ以上は割愛します。こうした紹介と批判は正しくやっておかないと、たとえば P.スウィージーの独占資本主義論や宇野の三段階論に馴染んできた方々から、誤解だと非難されるのはわかっているのですが。ポイントは従来の独占資本論型でも発展段階論型でもうまく説明できない現実に直面しているのだという点にあります。ここでは残った時間で、従来のやり方では捉えきれれない「現代」の意味を述べて、次回以降の各論に進みたいと思います。

グローバリズム

今日の「現代」

さて、以上みてきたように、現代資本主義というときの「現代」は、これまで幾度も更新されてきました。これは資本主義が本質的に変容を受け容れる性質をもっているからです。ただ、この変容=構造変化の一般理論というのは、構造そのものの分析に比べて格段に難しくなります。メカニズムとシステムの違いです。建物とか機械とかの構造計算はできますが、生物の変態とか環境の遷移とかとなると、そもそも数学的あるいは論理的にどう表現したらよいのか、一筋縄ではゆきません。こうした変容もなんとかして理論の射程に収められないものかとあれこれ努力してきたのですが(『経済原論:基礎と演習』2009年)、どうやら夢は枯れ野を…ということに終わりそうです。しかし、原論で論証できなくても、資本主義が変容するシステムであることはほぼ間違いないでしょう。繰り返されてきたいくどかの「現代」の、その最後に位置する「現代」とはなにか、頑張って考えてみたいと思います。

プレートの交替

結論から先にいえば、現代の「現代」を画するのは、新たな資本主義の台頭です。ちっとも新しくない「新しい資本主義」の話ではありません。1970年代の後半になるとNICsとかNIEsという言葉を耳にするようになりました。1980年代に相対的に好調であった日本経済の背後で急成長したアジア四小龍が代表でしょう。日本が1990年、年初のバブル崩壊以降低迷を続けるなかでこれらの国・地域は拡大を続けてゆきます。さらに1989年のベルリンの壁崩壊から1991年にいたるソ連邦の崩壊にいたる流れも、新たな資本主義の台頭に合流してゆき、21世紀にはいると大国型のBRICsが注目されるようになります。こうした流れは、しばしば合衆国を中心とする先進資本主義諸国による海外投資の結果にすぎないと見なされ、たとえば1997年7月のアジア通貨危機のような事態が生じるたびに、その脆弱性、従属性が強調され、けっして新たな資本主義の勃興とよべるものではないといわれてきました。

しかし、これまでみてきたような超長期の視点で資本主義の歴史を捉えてみると、この勃興否定説がきわめて近視眼的なものであるのに気づきます。『資本論』にしたがって15世紀末からの「資本の本源的蓄積」に起源を求めるにせよ、あるいは17-18世紀のイギリス羊毛工業の発達を中心とする「重商主義段階」を資本主義の生成期とするにせよ、資本主義はイギリスを起点とする単一起源説にたつことになります。そして19世紀にイギリス綿工業を基軸にした「自由主義段階」の資本主義が形づくられるのですが、19世紀末になると、この先発資本主義国イギリスに対して、ドイツを典型とする後発資本主義が台頭することになります。『資本論』の視野にはない極東の日本も、この「帝国主義段階」において、辛うじて資本主義化の波にのることができたのでいた。だが、こうした西ヨーロッパを中心とする一連の資本主義の生成・発展の波は、20世紀に入ると急速に終息します。資本主義化した諸国は、国内的においては、独占資本のもとに非資本主義的な部門を温存するとともに、対外的には植民地を拡大することで周辺地域における資本主義的発展を抑制・破壊するようになったのです。資本主義は、世界的規模でみれば、部分的・局所的な存在であることが明らかになったといってよいでしょう。

こうして、資本主義は部分的に発展を遂げながら全体としては没落期にはいったと捉え、これをもって、新たな「帝国主義段階」の資本主義と規定することも可能となったのです。資本主義列強は、植民地争奪戦から第一次世界大戦に突入し、そのもとで1917年のロシア革命により社会主義国も誕生することになります。こうした資本主義の部分性は、第二次世界大戦後の冷戦構造のもとでさらに顕著になります。中国をはじめ、およそ資本主義的発展を経由したとは考えられない地域で社会主義革命が起こり、社会主義を標榜する人民共和国が簇生すると同時に、植民地支配を打倒して独立した第三世界の諸国の多くはモノカルチャー型経済のもとでかえって資本主義諸国の経済への従属を強いられ、新たな南北問題が激化していったのです。

要するに、資本主義はある時代に一国でただ一度生成・発展し、その後、いくつかの諸国に拡大したが、それはある時点で停止した、ということになります。もちろん、現実の複雑な歴史現象をこんなに単純に割り切れるはずがありません。ただ超長期の観点から鳥瞰し、強いてひと言でいうならば、単一の起源をもつ資本主義は、中心と周辺という構造に収束したということができたのです。19世紀末の日本の資本主義化から20世紀末のソ連邦の崩壊までの100年あまりの長い期間を「帝国主義段階」という名称でよぶのが適切かどうかはわかりませんが、ただこの期間を通じて国内的にも世界的にも、資本主義の市場が覆う領域が拡大し続けたとはいいがたい状況にありました。1873年の大不況ではじまった100年は、その真ん中の1927年に大恐慌が発生し、その後の不況救済を政府の介入に求める動きが広がります。そしてこの大恐慌を挟む二つの世界大戦では、国家主導の軍事経済の色彩が強まり、また第二次世界大戦後の冷戦構造のもとでは、資本主義諸国は社会主義に対抗するために、多かれ少なかれ福祉国家的性格を帯びるようになったのです。二つの大戦間期にマルクス主義者は、すでに世界史的にみれば資本主義から社会主義への「過渡期」にはいったと唱えていましたが、戦後の福祉国家の時代になると、非マルクス主義者のなかにも、資本主義も社会主義も計画経済と市場経済の混合経済にゆきつくという体制収斂論を支持する学者が一時は多かったのです。この100年は、「植民地主義」という狭い意味での「帝国主義」で塗り尽くすことはできませんが、宇野の用語を用いれば、非商品経済的な諸要素がますます重要な役割を果たすようになったという意味で「不純化」が進んだ「帝国主義段階」であると一括りにできる時代だったのです。

このように捉えかえしてみると、先に述べた20世紀末にはじまる新たな資本主義の台頭がもつ意味もはっきりしてきます。それは宇野弘蔵が資本主義の没落期(爛熟期ともいいますが)と規定した「帝国主義段階」とうまくつながりません。地層でいったら不整合なのです。欧米と日本の先進資本主義諸国が100年あまりにわたって資本主義化を抑圧してきた壁を打ち破って、新興資本主義諸国が新たに台頭してきたのです。そうはいっても、「新たな台頭にみえるのは、先進資本主義国の資本が、こうした諸国に投資を拡大した結果にすぎない、だから、先進資本主義諸国がその領域を広げただけで、帝国主義段階の基本は何も変わっていない」という人がいます。

たしかに、こうした投資が呼び水になったことは否定できませんが、帝国主義段階と決定的に違うのは、こうした投資が第三世界の産業的発展を抑圧・破壊するものではなかった点です。たとえば台湾では1970-80年代に高雄の外港に大規模な経済特区を建設し外資の力を借りてかもしれませんが、重化学工業が発展しました。しかし、それと同時に電子部品などを扱う小規模な工場もこの時期に次々に誕生したのです。侯孝賢監督の「風櫃來的人」(1983)や「最好的時光」(2005)のpart 1 などをみていたら、このころの高雄のようすがわかってなかなか面白かったです。韓国はいったことがないのですが、やはり特区経済で重化学工業化をはかったようです。しかし、こうした開発が帝国主義的従属につながったとは今ではもう誰もいいません。香港やシンガポールはそもそもこうした特区開発はしなかったのではないかと思いますが、1970年代末でしたでしょうか、安いなと思って買ったTシャツのタグをみたら made in Hong Kong「舶来品か?!」と驚いたのを覚えています。かつて日本の輸出品であったこういう日用雑貨が外資導入でつられたとは思えません。100円ショップやユニクロが登場する遙か以前の話です。それはともかく、こうした小国における資本主義化を帝国主義的掠奪とみることはできない、これは長期的・世界的にみれば新しいタイプの資本主義システムの台頭と捉えるべきだ、これが —- 理論的な結論ではありませんが -— 私の「見方」です。

ネオリベラリズム

1990年代のバブル崩壊後、長期停滞が続く日本でも、世紀を跨ぐころからグローバリズムという言葉と同時平行的に、ネオリベラリズムという言葉を頻りに耳にするようになりました。David Harvey, A Brief History of Neoliberalism (2005)の訳書『新自由主義』がでたのは2007年でだいぶ後になりますが、これによるとネオリベラリズム自体は1970年代末から、サッチャーやレーガン政権のもとではじまっていた(鄧小平の改革開放路線まで含めていたと思います)が、それらはいずれも所期の成果をあげることができませんでした。高度成長期に培われた財政拡張と福祉政策がイギリスでは1970年代末に悪性インフレを生み、またアメリカでは双子の赤字(貿易赤字と財政赤字)を激化させており、こうした苦境を打開するものとして、反ケインズ主義的な経済政策への転換が進めらたのです。

80年代は、むしろ新自由主義的政策をとらなかった日本や西ドイツのほうがパフォーマンスがよかったのですが、90年代のクリントン政権のあたりで流れは逆転し、2000年のITバブル崩壊を挟みながら2008年の世界金融危機にいたるまで、ネオリベラリズム=グローバリズム=アメリカナイゼーションという図式が流布しました。日本においても2001年に発足した小泉政権が大々的に新資本主義を掲げ、市場にできることは市場にまかせよという掛け声のもと、日本型福祉国家の枠組みを規制緩和で壊してゆくことになります。なんでも世界標準=アメリカン・スタンダードでゆくべきだという風潮で、アメリカの大学のカリキュラムにないマルクス経済学など教える必要はないと強い圧力をかけられたのです。それはともかく、うえのような図式を信じる人は、新興資本主義諸国の交流も所詮、アメリカを中心とする先進資本主義諸国の拡大の余波にすぎないとみなしていました。しかし、長期的・世界的に捉えかえしてみると、新興資本主義諸国の台頭はかなり以前から徐々に剥いじまっており、こうした福祉国家型から新自由主義への転換など、先進資本主義諸国側も変化に影響をうけながら、主体的にそして着実に進展していったとみてよいと思います。

この台頭を強調する立場からいえば、これが先進資本主義諸国がネオリベラリズムに舵を切らざるをえなかった遠因になっていたようにも見えてきます。先進資本主義国では徐々にではあれ産業の空洞化、ディインダストリアライゼーションが進んでゆきました。産業構造が高度化したのだといえばそうなのであり、その意味でより高次の発展スタイルに移ったのだといえばいえるかもしれません。第三世界が発展して、それとの競争に敗れて、先進国の経済が縮小・衰退したというわけではありませんから。しかし、私が見なれてきた高度成長期の大都市周辺の大規模工場はマンションや大学キャンパスに跡地転用され、地方の地場産業は海外に工場移転するかたちで姿を消してゆきました。スコットランドのグラスゴーは重工業で栄え英国第二の都市の座を誇ってきたのですが、私が一年ほど暮らした1980年代末にはクライド川沿いに巨大なクレーンを残した大規模な造船所跡地が広がっており、これからは文化で売り出すのだといってそこでフラワーフェッシバルなどを開催して盛り上げようとしていましたが、やはりどうもみてもパッとしませんでした。これは日本や英国にかぎった話ではなく、多かれ少なかれ先進資本主義諸国に共通な現象だといってよいでしょう。ネオリベラリズムへの転換の根底には、先進国におけるこうした漸進的な産業構造の変質がはたらいているようにみえるのです。つまり、50年くらいの長期でみれば、ネオリベラリズムが第三世界の資本主義化を促したのではなく、逆にこうした地域における群発的な資本主義化によって先進資本主義諸国におけるネオリベラリズムは余儀なくされたのだ、ということになりそうです。もちろんこれは「見方」の問題で、一方的な因果関係が証明できるような学問的な知見ではありませんが。

グローバリズム

先にネオリベラリズムの話をしてしまいましたが、これと並行してグローバリズムという用語もほぼ時を同じくして頻りに使われるようになりました。

たしかに、1990年代になるとかつては「多国籍企業」とよばれていた世界的規模で活動する巨大企業のなかみが変わってきました。それまでは国際石油資本(メジャー)や植物油脂などの天然資源をベースにした巨大資本が中心でしたが、それが加工度の高い自動車やコンピュータ装置などにも広がり、さらに情報通信の分野に広がってゆくことになる。低賃金の労働力を求めて資本が進出したといえばそういえますが、逆からみれば、新興資本主義色の側にそれを誘発するような要因が形成されていたからだということもできます。かつての帝国主義連強の植民地化のように、政治的支配を基礎に農民から農地を取り上げプランテーションに変えたというのとはわけが違うのです。

さらに先進諸国のネオリベラリズムは大規模な労働力移動を引きおこすことになります。日本ではそれほど顕著ではなかったように思いますが、EUの統合はソヴィエト崩壊と相まって大規模な労働力移動が発生します。合衆国への新たな移民流入もこの時期に加速するようになります。さらに、第三世界における資本主義化の波は、均等な速度で一様に進んだのではなく、群発的・局所的に波及したのであり、そうした波に乗れなかった諸国・地域からは難民型の移民が押しだされることになったのです。

もう一つ、1990年代には世界規模の金融膨脹が進みます。高度成長期に形成された国内産業を相手にしてきた大手銀行が、1989年末のバブル崩壊以降、考えられないような統合を繰り返すことになりました。オイルショックのころ、東大経済学部の卒業生のおそらく六、七割はこの手の銀行や証券、保険会社に就職したのじゃないかと記憶しています。ところが山一、拓銀が破産したあとになると、どっちにしようか就職の際に迷った銀行がけっきょく統合されて、昔の友人と同じ銀行に所属する結果になっていたという事態も珍しくなかったのです。しかも、銀行の業務内容も大きく変わり、どんな仕事をしていたのか、大学時代の友人からもっと詳しく教えてもらえばよかったと思っていますが、ともかく多くの人が在外勤務を経験しておりました。こうした金融資産の累積と国際的な流動化も、もとをたどれば、先進資本主義諸国における産業と金融の結合がバブルとその崩壊を通じて劇的に変わったことによるものと考えられるのです。

20世紀末に顕在化した、こうした資本、労働、資金の国境を跨いだ移動は、グローバリゼーションあるいはグローバリズムと総称されるようになりました。この言葉は、リベラリズムをもとにしたネオリベラリズムに比べて、その由来ははっきりしませんが、この言葉はそれまでインターナショナルと冠せられていたものを次々に置き換えらるかたちでこの時期急速に流布していったようにみえます。使う人それぞれに独自の意味を付与できるこの言葉自身をいくら詮索してなにも明らかにはならなりません。ここでは、これまでみてきたように1970年代にはじまった国家・地域で群発的にはじまった新たな資本主義化が底流となり、世紀末に上記のようなかたちで顕在化したと捉え、これにグローバーリズムとよぶことにします。これは19世紀末の帝国主義
インペリアリズムが引きおこした植民地再分割のような世界的規模の構造変化と明らかに異なる、不連続な、しかし、それ以上の規模で世界的な構造変化であるといってよいでしょう。この講義で「現代」とよぶのは、このように定義したグローバリズムの時代です。

このグローバリズムは、単に20世紀のインペリアリズムと不連続なだけではありません。第1回の資本主義の起源でみた西欧を起源とした超長期の資本主義の生成・発展・成熟という一連の発展段階とも不連続にみえてきます。重商主義、自由主義、帝国主義という段階をのせた大きなプレートとは異なる、もう一つのプレートの台頭であるように思えるのです。帝国主義段階のあとに第四の段階としてグローバリズム段階があるというのでは不充分なのです。これもまた「見方」の問題で、論理的にこう考えざるえないという必然性があるわけではありません。複雑な現象を整理するフレームワークにすぎないといえばそれまでです。ただ、ここではこのような枠組みで「現代」を切り取った、このあと現代資本主義論を考えてみたいと思います。とすれば当然、新興資本主義国の内部にも目を向けざるをえないのですが、残念ながら私にはい媽祖の用意はありません。以下で考えるのは、私が目撃してきた日本の資本主義です。これだけでも検討すべき論点は多岐にわたるのですが、残りは4回なので、私の直観で貨幣、労働、技術、環境という4つのトピックに絞り、「現代」の「資本主義」の「理論」についてお話ししてみたいと思います。