12月20日、独占研究会で「宇野理論とマルクス」というテーマで話すよう注文があり、一年半ぶりに出前にいってきました。
1960年代末、「新左翼」の若者を「宇野理論」が惹きつけた正体は何だったのか? 今となっては、幕末維新の勤王佐幕を大正デモクラシーの世に回顧するようなもの。なので「宇野理論」といっても、私の世代にとっての「宇野理論」はひと味違う、という話を、「正統派」の人たちのまえで、平然と語ってきました。
この種の若者を惹きつけたのは、宇野弘蔵自身も、また直参の「宇野派」のお歴々も自覚していない何かでした。かれらは、もともと「マルクスの収斂説→二段階革命」を拒否し、それなら「世界革命→収斂説「批判」」だろうなんて批判、批判の連続で「アンチ収斂説=純化・不純化論」に漂着してきた連中。だから、上の世代と一緒くたに「宇野派」なんてよばれると、どうも違和感を覚えるようです。
…などと、人ごとみたいにいってしまいましたが、正直にいえば自分一人のことでしかなく。ただ、私としては、マルクスに対しても、宇野に対しても、すべてに対して、つねに「批判的」な姿勢をとってきたつもり。そのあげく気がつけば、「誰々理論」とか「何某派」とかというのが、たとえ自分の名であっても我慢ならない、自己破壊的な困った爺さんになっていた、という笑えぬ話。
さて、当日、研究会で話した内容は、簡単にいうと…