増殖根拠論から増殖動機(契機)論へ

  • 『資本論』ではG-W-G'は増殖根拠をもたないとして、第2節のこの形式の矛盾論で事実上、資本の一般的定式論のはしごをはずした。
  • 宇野は、この形式も資本の本性を示すとして、資本の一形式として捉えた。その位置づけはいろいろ説明されており議論の余地はあるが。
  • この形式を産業資本の一面とする*1だけではなく、独立した一形式とするにあたって、マルクスがこだわった増殖根拠を独自に説明する必要が生じる。
  • この増殖根拠をどう理解するのか、をめぐる宇野派の一連の議論が60年代まで展開される。*2
  • 70年代以降、こうした必然的根拠に対する見直しが進む。確実に利潤が得れる、ということがG-W-G'の成立根拠として説明されるべきなのか、という問題。結果的にかならず利潤があがる、だから買って売る、というあまりに受動的な資本像になってしまう。結果が問題なのではなく、動機の形成、もうかるかもしれない、という可能性があるかどうか、これが問題なのだ、というように考えるようになった*3
  • 一物一価的な市場からの脱却、市場の無規律性をどう理論化するのか、こうした方向に焦点が転換される。

この後のはなしは端折りますが、大きな流れはだいたいこんな感じでしょう。yoshimura氏、mori氏、いいでしょうか。

G-W-G'変形説の方向性

G-W-G'という運動のどこにどのようなかたちで、産業資本形式への展開をみるか、という点をめぐって異なる考え方がありという議論になりました。

切断説
延長説購買過程の延長説
販売過程の延長説

という感じでしょうか。

  • 購買過程の延長説というのは、宇野原論の労賃章の最後にでてくる「生産過程の流通過程化」という説明に通じます。産業資本は労働過程を通じて、W'に なるものを時間の進行とともに少しずつ「買っている」のだ、と見なすものです。私もある時期まで、この観念化自体をではないですが、産業資本にとっては 生産過程は購買過程の変形であり、特殊な意味をもたない、というような考え方に通じるものとして、このアイデアを借用できないか、考えていました。私が 最初に強く印象づけられている「価値の切目」説はこの「生産過程の流通過程化」に対する批判として提示されたものです。そんな、ダラダラと買っているの ではない、商品はどこかでその価値を確定されるのであり、資本の運動には、売り買いのときだけではなく、おそらく生産過程のうちにも、はっきりした切目 になるポイントがあるのだ、というような主張だったのではないか、と思います。
  • 延長説に二つあるというのは、特段強調するべきことではないでしょうが、私自身は購買過程の延長説をずっと支持してきたので、ちょっと逆もありかな、 と過剰防衛的に考えてきました。つまり、パンを買うためには、できたパンをさがしまわるだけではなく、やすく小麦を買ってパンを焼く、という変形が派生 するというのが、購買過程の延長上に生産過程を取り込む(包摂する、重合させる、*4 )という捉え方です。これに対して、なかなか売れない小麦を売りやすいパンのかたちに変化させているのだ、というのが販売過程の延長説です。これは、販売費用が基本である流通費用を生産の費用と連絡する回路を開く一手として、一考の余地あり、ということなのですが、どうでしょうかね。

挟込説と浸透説

  • 産業資本の生産過程をどう位置づけるか、これは以上の系論となります。一般には”産業資本は生産過程Pを購買G-Wと販売W'-G'という流通過程で 挟み込んでいる、というように説明されてきました。生産と流通という、まったく異質なものをもつという産業資本の二元性が示されるわけです。これが、切 目説とつながるわけです。G-W-G'というけれど、このG-WのWとW-GのWの間には切れ目がある、この不連続面を大きくし確定するものとして生産 過程という流通と異質な過程が挿入されるのだ、というような着想でしょう。
  • これに対して、購買過程が延長されるという方向で考えると、資本は安く買うためのひとつの手段として、外部の生産過程を価値増殖に適したものに変化さ せ、取り込んでゆくのだ、という着想になります。形式的包摂・実質的包摂など、生産過程の変形論、労働過程の変容論、熟練労働の解体再編論的ないろいろ な問題がこの延長線上に焦点化してきます。流通過程に起源をもつ*5資本は、こうして本質的に生産過程を浸食する内圧をもつ、という ように捉えられるわけで、流通とは異質な生産をパチンとはめ込んだ、ブロックでないということになります。

労働力の商品化との関係

ここから次のような議論が派生するのではないでしょうか。これまた系論ですが。

  • 宇野派の場合、資本主義は産業資本を基本にした純粋資本主義というかたちで理論化される、というように一般には考えられてきました。世界資本主義も、 前提をめぐる異論で、できた原論そのものの展開内容は、純粋資本主義以上に単一一様です。ともかく、このような資本主義像にとっては、切目説、挟み込 み説のラインが親和的です。古くから存在してきた商人資本に対して、労働力の商品化という外的条件が与えられることで産業資本が成立した、という理論構 成です。その間に、中間的な多様な接合関係など認めない、ワンポイント型の原始的蓄積論絶対論です。
  • したがって、延長説、浸透説のラインは、生まれながらにしてアンチ・純粋資本主義的な芽をもっていることがわかります。資本の生産との接合様式には、 浸透のしかたによって多様な方式がうまれるというように考えることは難しいことでなくなります。こうしたものは、原理的には扱えないのだ、という禁句は 先入観だということになります。昨日のゼミでは、このあたりをだいぶ議論したのですが、なかなかこのメールでこれまで説明したあたりを了解事項として発 言したのであとで聞いたら、何を言っているのか、わからないよ、という反応でしたね。
  • 貨幣の資本への転化論は、こうした意味で、資本の運動に生産はどう位置づくのか、つまり流通と生産はどう関わるのか、という一般的な問題を抽象的なか たちで解明するということになるわけです。

産業資本の多様性と労働力商品化

最後に昨日のゼミのときに、あらたに明確にいってしまった点です。

  • 産業資本的形式というのはオバタはG-W-G'と区別して別立てしません。これは、浸 透説、変形論的なアプローチからいえばとうぜんで、資本の一般的定式はG-W-G'イッパツできまり、いわゆる産業資本も含めてすべてこの一般の変形と いうように整理するわけで、三形式論には与しません。
  • が、なかなか、決断がつかなかったのは、いわゆる小生産者の位置づけです。労働力商品を購入することなく、自己労働で生産をおこなうような、街の靴屋とかパン屋とかは資本ではない、というのは、呪縛だったのではないか、という気がしてきました。マニュファクチュアだって立派な資本主義だというのは、最近とくに分業論などやりながら、考えてきたのですが、小生産者は資本ではない、という固定観念にまでは、なかなか反省が及びませんでした。昨日も賛成する人は皆無でしたが、私自身はここまで資本に含めていいということになりそうです。演繹的にそうなるという意味ですが、その理論的な含意も説明できそうです。要するに、資本の一般的定式を基準に考えると、流通形態としての資本とその外部に広がる世界との<重合>形式には、少なくとも<変容論>的アプローチなら<理論的に>多様な形態が分析可能になる、というように思っています。aosaiさん、どうでしょうか?
  • 勝村報告は、切れ目説のあと、Pという記号はなにを意味するのか、という問題を考えているのですが、この点は、Pだけではなく、およそ資本というのは、貸借対照表にいう「資産」の評価でしょう、といったのですが、このPはなにか、という問題と切れ目説とは、論理的にはつながらないでしょう。流通過程にとってPとはなにか、もっとひろく考えた方がいいと思いますが。

2004-11-07 (日) 01:36:48

次の一連の命題の関係を整理するとどうなるのでしょうか。

  • 商人資本の貨幣や商品は、資本である。
  • 商人資本は搾取をしていない。
  • 独立小生産の生産手段は、資本ではない。
  • 独立小生産は搾取をしていない。
  • 産業資本の生産手段は、資本である。
  • 産業資本は搾取をしている。

宇野派の通説のように、商人資本を資本家として規定しながら、独立生産者は資本家ではない、ということが、オバタのアタマでは、どうも理解できないようです。

搾取非搾取
資本産業資本商人資本
非資本独立小生産者

*1 ”的形式”と"的"をいれる意味はここにあるというひともいる
*2 たとえば世界資本主義的な主張が宇野派の若手に影響力を 与えつつあり、その優位性を主張する一つの論拠として、次元の相違論などとならんで、市場圏間の価格差が世界資本主義なら説明できるだろう、といった議 論がなされた。降旗氏の世界資本的な方向への迷走に宇野が珍しく直接批判、大内秀明氏など純粋資本主義=一国資本主義的方向に邁進、価格変動論に進むも、世界資本主義派から将来の変動など上がるか下がるかわからないではないか、そんなのでは現在の地理的な価格差とはちがって、”必然的”根拠にならない、と批判される。これに対して、地理的な価格差を同時に認識できるか?できたとしても売り手は瞬間移動できるのか?といった時空をめぐる禅問答(珍問答)まで飛び出す始末.....
*3 だれが?オバタは少なくてもそうでした。おまえだ けだろう、という人もいましたが
*4 "重合"というのはつかったことがあるかもしれませんが、私としてはピッタリした感じです
*5 論理的起源です

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Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13