予備的な質問

おばた:素朴な疑問です。ちょっと考えをきかせてください。

  1. 「商品の価値を高めることだけが価値生産的労働なのではなく、損失を食い止める労働もそうであるというのは保管費を考えたときにまさにその発想が用いられているといえるからである。物理的な形態は違っても保管費も売買費も同様にマイナスをマイナスする有用効果を生産している」といわれています。たとえば、100万円の商品を保管するのに毎日1万円かかるとします。「商品の価値を高め」ないとすると、この保管費はどのように回収されるのでしょうか?
  2. 安部隆一氏の説が紹介されいます。安部氏は、運輸効果について、たしか「石炭袋の価値がそのなかに詰められた石炭の価値を高めないのと同じだ」といっていたように思います。石炭袋に入っていてもいなくても、<同種の石炭>自体の価値はかわらない、という考え方は正しいでしょうか。*1

回答

遅くなってすみません。質問に先ほど気づきまして。

ゼミでの議論を通じて僕の意見が変わったところもありますのでそれをふまえて回答しますと、まず保管費が価値を追加しないというのは間違っていると思いました。「商品の価値を高めない保管労働」といった部分は訂正したいと思います。したがって、保管費は価値どおりに商品が売られることによって回収されます。そしてその保管労働が価値をうむ根拠は、正常な商品循環の下でできる正常な在庫の使用価値の下落を防ぐという有用効果を生産しているところにあると考えます。

次に石炭の話ですが、石炭袋に入っていようといまいと同種の石炭は同じ価値をもつと考えます。ただし、売れた後の石炭を総体的に考えると石炭袋の価値も含まれざるをえないと思います。石炭を袋にいれずに(これは運輸過程の存在を示していると考えますが)すべての需要をみたすだけの生産量が確保できないからです。通常売れる石炭(売れた石炭)にはそれだけの石炭を流通させるのに必要な袋の価値も含まれているということです。個別の石炭を取り上げるのではなく、石炭なら社会で消費されるすべての石炭が総体でどれだけの労働投入によってつくられるかというところで石炭の価値は決まるのではないでしょうか。


2004-11-22 (月) 15:16:35 小幡です。

  1. 「正常な商品循環の下でできる正常な在庫」というのは、どのように決まるのでしょうか、あるいは概念規定するのでしょうか?
  2. 「通常売れる石炭(売れた石炭)にはそれだけの石炭を流通させるのに必要な袋の価値も含まれている」という考え方ですが、「通常売れる石炭」と「売れた石炭」とは、かなり意味が違うと思いますが、「通常売れる石炭」の問題は、うえの「正常な」と同じたぐいの問題だと思いますので、とくに「売れた石炭」というほうについての疑問です。
    これは事後的に売れたものはどのようなものであっても結果的にその価値が含まれていると<見なされる>ということだと解釈していいですか。マルクスにも、こうした考え方が随所にあって、私には理解できず、悩まされてきました。たとえば、市場の胃の腑論*2といわれるところです。マルクスの客観価値説にも社会的需要の契機があるのだ、という考え方をするひとは少なくありません。

いまここで答えなくてもいいですが、ちょっと考えてみてください。


新井田です。

  1. 「正常な在庫」は産業における技術水準と競争によって一定の量に収斂していくものだと思います。在庫が多すぎる場合には保管費がかかりすぎて商品価値があがりすぎることで実現の困難が生じるでしょうし、在庫が少なすぎる場合には変動する需要に対応できずに販売の機会を逃すことが起きるでしょう。その中間にその産業に一番適したちょうどいい「正常な在庫」の水準があるのだと思います。
  2. 事後的に売れたものには結果的にその価値が含まれているとみなされるというのは正しいと思いましたが、考えているうちにわからなくなってきたので、もう少し考えさせてください。

とりあえず以上で失礼します。


2004-11-25 (木) 08:58:36 小幡です。

  1. 「在庫が多すぎる場合には保管費がかかりすぎて商品価値があがりすぎることで実現の困難が生じる」ということはあるのでしょうか。在庫が通常より増加しているときに、逆に商品価格を下げてでも、在庫をはかないといけないのでしょう。在庫が減るのは、通常の価格以下に引きさげる資本がでてくるからです。
  2. 「在庫が少なすぎる場合には変動する需要に対応できずに販売の機会を逃す」というのは、どのような「場合」とどのような「場合」を比較して「逃す」というのか、教えてください。売れ行きがよく、つくった瞬間に捌けた場合、追加的な購買要求には応えられませんが、これはなにを逃したことになるのか。在庫ゼロになるほど売れて、フル稼働で生産していて、これ以上に逃すものがなにかあるのか、どうでしょうか。
    従来の価格で売っていて、フル操業かつ在庫ゼロになるほど売れてしまった場合、もし在庫をもとうとすれば、 買えない購買者がでるほどに、売値をつり上げるほかないでしょう。これは従来の顧客に対して、”売りません”と断ることと、事実上同じです。
    10個しかない在庫にひとり1個買おうという買い手が20人押し寄せれば、とうぜん、買えない人がでてくるのはしょうがないでしょうが、この「場合」を20個売れる「場合」(これはこの資本規模では実現できない、あり得ない場合です)に比べて「逃す」というのは、比較関係が不整合ではないか、というのが私の直観です。

泉さんとか、先週は新井田説に賛成していたようですが、どうですか、明日、また見解をきかせてください。


ついでに一言。これは私の個人的なメモなので、聞き流してください。

うえの適正在庫のような問題は、「実際には」とか「歴史的には」とか、いって、顧客の慣習的行動とか、商取引の継続性とか、条件を追加すれば、個別資本が在庫水準を一定水準を割り込まないように維持する事情は説明できるでしょう。しかしそれは、追加条件なしの純粋状態を基準にして、実際に理論どおりにならないのはなぜか、逆算するのに、原理論を使うわけです。現実に合わせて、無媒介に歴史を反映させるようなかたちで、原理そのものを拡張したのでは使いものにならなくなるだろう、と考えています。

ふだん、変容論的アプローチで原理論を再構成する、などといっているので、ズブズブの歴史反映論者と誤解されれるのですが、理論展開に関しては、私は生粋の超原理主義をとっています。ゴリゴリの超原理主義の故に、簡単に資本主義の単一な純粋像が理論的には構成できない、という問題が浮上するのです。それが規定的開口部の明示、外的条件の作用・反作用、資本主義の多型性といった変容論的アプローチを必要とするわけです。超原理主義の眼で見ると、19世紀中葉のイギリス資本主義ではこうであった、という<傾向の延長論>=一種の反映論が、純粋資本主義には潜伏していることに気づきます。在庫のような個別理論の領域ではなく、原理論全体に関して、超原理主義的逆算でみえてくるのが、開口部問題だと思います。

事後的な結果がそうだから、それは事前にも織り込まれるのだ、在庫は産業部門全体としてみると社会的な平均水準としてあるのだから、そういうものとして、とうぜん(!?)、生産価格に反映されるのだ、という、見なし関係に、私がどうも合点がいかないのも、このあたりに原因があるのではないか、と思います。


2004-11-27 (土) 08:24:19 オバタ

昨日の演習で泉氏、新井田氏とまた議論してみました。

保管費を考えてみたとき、保管費を上乗せして売るものに対して、これを上乗せしないで売れば、その分早く売れるだろう。だから、売り手の競争のなかで、流通費用を上乗せせず、早く売ろうという圧力がかかり、けっきょく流通費用を販売価格に転嫁することはできなくなるのではないか、と説明してみました。

流通費用をみなが10円だけのせているとき、抜け駆け的に売値を下げればすぐに売れるとします。それによって10円の保管費はこの資本は負担しなくてすみます。もし1円引き下げただけですぐに売れるのなら、保管費10円はただになりますから、9円の儲けがでます。価格を引き下げると、販売期間が短縮して、結果的に保管費が実際に減るとすれば、こうした価格引き下げの圧力で、保管費10円の転嫁はできなくなるのではないか、というわけです。

こうして流通費用をみなが一律に引き下げていっても、販売期間自体が消滅するわけではありません。みなが一律に下げたところでは、相変わらず販売期間は不確定な状態で残ります。10円みなが下げてしまえば、10円一律に高かったときと同じでしょう。価格引き下げの効果は、抜け駆けで価格差をつくるととができた状態にかぎります。

さて、ここで新井田氏から、それであれば10円の保管費に限らず、さらに価格を引き下げていけば、どこまでも儲けがでるのではないか、何で保管費だけが消滅するところで話が終わるのか、という疑問がでました。

時間がないので簡単に答えましょう。

保管費は抜け駆け的に下げれば、実際に販売期間が短縮され、その結果、実際に個別的に保管費が不要になります。これに対して、生産価格以下に価格を抜け駆け的に引き下げても、生産期間は短縮されません。生産価格以下に引き下げると、その引き下げた分だけ実際にコストが軽減されるわけではないのです。10円の保管費を転嫁しなければ、実際の10円が必要なくなる。これに対して、生産価格より10円引き下げても、生産に要する費用は相変わらずもとの水準のままです。この違いがミソでしょう。これで納得できればいいのですが、できなければ、いってください。説明します。では、でかけますので。


2004-11-27 (土) 22:54:14 izumi

泉です。 少し考えてみましたので,書き込ませてください。

先生のご説明で,昨日の問題は納得できました。 ただ,私の問題の立て方が悪いのかもしれませんが,もう一つ腑に落ちない点もあります。 問題は,

  • 販売価格に保管費は含めうるか否か?

ということで,私は含めうるのではないかとお答えしました。 以下,この問題について考えてみます。

商品Aを生産するA資本がいるとします。そしてA商品の生産に要する費用が90円だとします。また,他のA商品生産資本も,同じようにA商品を生産するのに90円かかるとしてください。 このときA資本は,販売期間が大体5日くらいだと予想して,その間の保管費が10円かかる(1日の保管費=2円)だろうと考えるとします。 また,他のA商品生産資本も同じ予想をするとここでは考えてください。 いま,平均利潤率が20%だとします。

ここで一点。 このとき資本は,90円に平均利潤率を掛けるのか,それとも100円に平均利潤率を掛けるのか,ということがまずお聞きしたいです。つまり,自分の販売する商品の売値をどうやって決めているのかという問題です。 いうまでもなく,A・Bの両資本ともに,90円かけてA商品を生産しているのだから,90円は必ず回収すべき費用として計算できると思います。 ただ保管費のほうは,あくまでも予想であって,実際にかかるかどうかということは,市場に供給してみないと分かりません。

そこで,A資本は90円に,B資本は100円(生産費90円+予想保管費10円)にそれぞれ平均利潤率を掛けると考えてみます。 つまり,A資本は108円で,B資本は120円でA商品を市場に供給することになります。 このとき,A資本が価格の引き上げを行なわなければ,B資本は108円まで価格を引き下げることになるという点は,先生のご説明で理解できました。

ただ,A・Bの両資本はともに,108円でA商品を供給するようになるのだけれども,実際には,売れない期間の保管費を出費しています。

  • ここで現実の売れ行きは,当初の予想通り,販売期間5日で推移するようになっているとしてください。(B資本が108円で供給するようになるまでの間は,A資本の販売期間は短縮されることになるだろうと思います)

つまりA・Bの両資本はともに,100円(生産費90円+保管費10円)の費用を投じて,8円の余剰を上げていることになります。 問題は,B資本がこの余剰をどう捉えるかということではないかと思うのですが,どうでしょうか?(問題の立て方がおかしいかもしれません)

このとき,B資本が最初の計算方式を用いるならば,B資本は8%の利潤率を上げていることになります。一方,A資本方式で計算すれば,20%の利潤率を達成していることになります。 先生は,B資本はA資本方式に切り替えるのだと仰られるのではないかと思います。ゆえに,販売価格に保管費を含めることはできない。 逆に私は,販売価格に保管費を含めるわけですから,B資本はB資本方式のままで計算するのだということを,事実上支持していることになります。

とすると,B資本は平均利潤も得られないことになってしまうのですが,だからB資本はA資本方式に切り替えるのだという論理は,もう一つ釈然としません。(かといって,B資本がA商品生産から撤退するかどうかという点も微妙なような気がしています)

保管費は不確定だということと,不確定なのだから,その予想保管費を販売価格に含めることはできないということとの間には距離があるように思うのです。 また上例では,予想が上手く当たる場合を想定したわけですが,資本としては,できれば不確定な費用を予想したくはない(のか?)。けれども,自分の予想が不確定だからという理由で,販売価格に含めないかどうかは疑問。 この不確定な部分を外に押し出す → 商業資本の登場(投下する費用全体が不確定)(→ 資本は不確定な部分を嫌うのではないのか?)  →確定性を好む資本/不確定性を好む資本

こんがらがってきたので,少し考える時間をください。


オバタです。 2004-11-29 (月) 08:49:41

競争関係のなかで、BもAのような価格設定を強いられる。このとき、保管費はどう「回収」されるのか、という問題ですか。それは、粗利潤から控除されるのです。90*(1+0.2)=108の生産価格で販売したときにあがる、18円の粗利潤から、各資本は実際に要した保管費を控除して、純利潤を算定するのです。

BもAのように価格設定をすると、Aが早く売れる(極端に考えれば即売=保管費ゼロ)という状況はなくなります。Bも108円に下げれてくれば、元の木阿弥、はじめのように平均5日でバラつくでしょう。平均が5日でも、早く売れれば10円以下、遅滞すれば10円以上の保管費をA,Bは時に応じて不確定な費用として、粗利潤から負担します。この結果、純利潤に関する利潤率は、20パーセントという一般的利潤率の下方に分散することになります。*3


2004-12-03 (金) 22:30:11 オバタです。

結城氏からも新井田氏に質問があるようです。こちらのページです。


*1 石炭はいろいろなところから運ばれてくるかもしないが、それらの石炭は混ぜてしまえば区別がつかない<同種>のものだから、石炭自身の価値はおなじだろう、というのです。
*2 『資本論』第1巻第3章第2節a「商品の変態」S.122
*3 興味があれば山口還暦記念本の「生産価格の規制力」をみてください。

トップ   差分 バックアップ リロード   一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13