2004-12-04 (土) 07:39:45 オバタ

昨日、森氏の報告に入るまえ、例によって雑談していた内容です。おととい、某所での講義準備をしていて、商業資本の「単純代位」の例解をつくっていてちょっと気になって、ひと晩夢うつつで、うとうと、考えていたことです。まず、例解から。


例解

ある生産物をつくっているメーカを考える。固定資本はゼロ、流動資本だけで、1個当たり800円を投下して、8日間で完成品になる。この商品の販売期間は平均2日で、その保管に1日100円かかる。一般的な利潤率が、1日1パーセントであるとする。

このメーカは、自分で流通過程を担当すると、生産費+保管費の1000円に10日分の平均利潤100円を追加した販売価格1100円で売れれば一般的利潤率が確保できる。

もし、商業資本がいつでも1100円の卸値で買い取ってくれるとすると、生産費800円に8日分の平均利潤64円を加えた価格864円で売れれば一般的利潤率(1日1パーセント)になるのだから、1100-864円 = 136円の超過利潤が発生する。だから、メーカの間には、「もっと安くするから自分の商品を買い取ってほしい」という、商業資本への販売競争が生じる。*1

メーカどうしの値下げ競争の結果、卸値を1100円から864円まで下落する。商業資本は、864円の買取と、平均で200円の保管に備え、合計1064円の資本を投下し、それに2パーセントの利潤21.28円を加えた小売価格1085.28円で売れば、一般的利潤率を確保できる。


問題

ここでは、平均期間で流通費用(保管費)が費用価格として処理されるという青才・新井田説をとっていますが、その問題には直接の関係はないでしょう。

問題は、代位、商業資本の独立があってもなくても、販売期間は2日でかわらない、回転期間も生産期間+流通期間と規定するかぎり、変化はない。つまり、単純代位、のつもりです。

生産流通
期間8日2日
費用価格800円200円

(一般的利潤率1%/日 で複利化せず所与と想定)

産業資本が販売もおこなう場合
(800+200) x (1+0.10) = 1100 == 小売価格
商業資本が流通過程をそのまま代位する場合
800 x (1+0.08) = 864 == 卸売価格
(864+200) x (1+0.02) = 1085.28 == 小売価格

問題は、小売価格の下落です。単純代位なのに、代位することで、産業資本、商業資本が一般的利潤率をともに得ながら、小売価格が1100円から1085.28に下落します。したがって、産業資本が自ら流通過程を担当しようとすると、代位した商業資本との間の競争で一般的利潤率の確保が難しくなります。けっきょく、代位関係が必然化する、ということになりそうです。

商業資本は、流通期間を短縮しているわけではないのですが、結果的には縮小代位と同じ効果を生んでいる。実態はまったくかわらなくても、形式的に分化するだけでメリットがあるのだ、ということになるわけです。従来から、商業資本には流通期間を短縮する効果がある、という説がありました。ここでは販売期間自体は短縮しないが、ある種の規定を与えれば「回転期間」短縮の効果があるという立論も可能かもしれません。どうでしょうか。

解説

代位後の小売価格の低下はなぜ生じるのか、理由はちょっと考えればわかります。が、オバタはうとうと考えてしまいって、沖氏ほどすぐにはわかりませんでした。

要するに

産業資本が自ら流通過程を担当する場合の流通費用200円が8日間遊んでいるじゃないか

ということです。

形式的補足

生産流通
期間r'日r''日
費用価格a円b円

X = (a +b)(1+r+r'')

Y = {a(1+r')+b}(1+r'')

X - Y = r'( b - ar'')

考察

多数産業資本の流通過程の代位の効果

この効果は、一産業資本と一商業資本の関係では説明できません。産業資本の200の流通費用が遊んでいるのですが、代位する商業資本はこの一資本の流通過程を代位しようとすると、一回の購買・販売をおこなたあと、買いとるべき商品資本が見いだせなくなる。複数の産業資本が存在して、次々に864円で買い取って、平均200円の流通費用を支出して1085.28円で販売できる環境が必要です。つまり、複数の産業資本が交互に生産を完了するといったような想定が必要でしょう。

単純代位と節約効果

これまで、販売期間の短縮は平均においてない、したがって、産業資本が自ら担当しても同じことになる、と考えて、単純代位=節約効果なし、という捉え、商業資本がもし小売値ですぐに買い取ってくれるなら、差額地代と同じような原理で*2、卸値と小売値のかたちで、産業資本の「超過利潤」が押しだされる、分業関係が成立すると考えてきました。つまり、産業資本からみると、自ら担当しても、移譲しても、同じだ、と思っていたのです。

しかし、単純代位でも、節約効果は発揮されて商業資本の分化はもっと強い必然性でいえる、ということになりそうです。これがちょっといままで勘違いしていたのかな、あるいは、いま勘違いしているのかな、と怪しんでいるところです。流通期間の実質的な短縮という効果はなくても、やはり、分化は不可避なのでしょうか。

私がこれまで、講義等で説明してきたのは、

  1. 節約効果なしの単純代位(弱い意味での代位の可能性、代位はしてもしなくても同じ、だから代位することもしないこともあるが、これは商業資本がたまたま分化することを否定するものではない)
  2. 分化すると、いくつかの理由で節約効果が発揮される
    1. 変動準備金の節約(販売期間が平均で2日でも、それ以上に売れなかった場合に備えて補揺する準備金が商業資本が売買を媒介する場合には、一種、保険の原理で縮減される)
    2. 流通費用の節約(市場調査や会計処理の費用など、重複投資の節減)
    3. 販売期間の実質的な短縮(これは流通に特化しても、生産における専門化による効果は期待であまり期待できない、として否定的)
  3. 意図せざる結果として、節約効果が発生し、商業資本による代位が一般化する。

というように説明してきたのですが、これは見直したほうがよいように思います。いかがでしょうか。

分業形成の一般原理として

実はこの問題は、商業資本の問題ではありません。流通期間を仮に平均としてみると、生産に投じられた資本と同じように、流通費用として処理できる、と考えるわけですから、生産過程が二つに分節できると考えた場合一般の問題になり、生産期間に対する流通期間の特殊性に焦点を当てた理論ではないのです。この商業資本固有の問題は、流通期間の特殊性、技術的な基準がないこと、抜け駆け的な短縮効果の余地、変動の不確定性、平均が意味をもたない点、などに焦点を当てる必要があります。

むしろこの問題は、分業一般の形成論と捉えたほうがいいでしょう。だから、資本として分化独立するかどうかも問題ではありません。販売部として分化して、200の資本を分離して運動させればいいわけです。あるいは、同じ資本で間断なくやるには、生産資本のほうも分割して、つねに販売にまわる流通資本がでてくるように、いわゆる並行型に生産過程を組み合わせる必要があるわけです。

分業論としてみた場合の問題は、分業一般に関して、生産力上昇をいう場合に、このような生産過程の分割組み合わせの効果がどう理論化されるのか、という点になります。分業論としてみた場合、この類推で私は単純代位的な、フラットな分業、つまり分業してもしなくても同じであるが、資本規模などの問題で、社会的再生産の一部をそれぞれの資本が分散的に取り込んでいる、というのを基本に考えてきました。分業は、意図せざる結果として節約効果をもたらすことがあるが、逆に節約効果がないと、分業は成立しないという強い関係はない、だろうという立場です。いまも、だいたいこう思っていますが、過程の分割ということが、それぞれの過程の実質的内容をいっさい変えなくとも、分割それ自体で編成上の節約効果をもたらす、という、昨日から考えてきた原理があるとすると、あまり信じていたほど、フラットな連鎖の一般性はないのかもしれないと、ちょっと怪しくなってきました。

  • 弱い命題:
    • if 分割しても、つなげても、やっている内容は変化がない、
    • then 分業はあるかもしれないし、ないかもしれない、どちらでも同じ効果を生む、
  • 強い命題:
    • if 分割が節約効果をもてば
    • then かならず分業が成立する

*1 差額地代のときに、資本間の競争で超過利潤が地代化されるの同じ原理がはたらくといってよい。
*2 昨日森氏とさんざん議論した原理です

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Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13