yazawa さんからobataの「資本の概念と株式資本」に関して、コメントがございました。ここに移しておきます。対象になっているのは、obata の大学業務のページの一覧表にあるように、2005年に大東文化大学で開催された「経済理論学会第53回大会」における報告論文です。
- 「資本の概念と株式資本」の中に、下記の文章があります。資本が商品で投下される、とはどういうことを指していますか?生産者が生産物を市場に出す、ということですか?それとも資本の循環運動図式で、商品を出発点とみる、ということですか?いずれにせよ、(「商品」は貨幣から始まる資本の価値増殖運動の一部における一時的な姿態にすぎないのだから)「貨幣ではなく商品が」資本として投下された、とみるのは、無理があるように思います。
(小幡の回答){資本の運動は、資本の投下、前貸によってはじまる。投下された資本額の確定は必要であるが、それは商品で投下されることもある。必要なのは、いつ、いくら投下したか、を明確にすることであり、資本の投下と貨幣の支出とは別個のことである。}
- 「貨幣の増殖」と「価値増殖」はちがう、という指摘は、言われてみればその通り。「貨幣の価値」は変化するから、貨幣が増えても価値が減ることはありうる。このことと「資本は回収が目的ではない」は、どう関係するのか?
- 投下貨幣の回収によって価値増殖が実現する、と考える必要はない、と書かれています。これも、言われてみると、思い当たる節がある。これだけ世界的にマネーの増発が(QEで)拡大してしまうと、もはや「回収」はしたくてもできなくなる。といってデフォルトさせるわけにも行かないから、さらなるQEで救済する。「投下資本の回収」ではなく「利潤の回収」が目的になる、ということでしょうか?
矢沢国光