「資本の概念と株式資本」について

yazawa さんからobataの「資本の概念と株式資本」に関して、コメントがございました。ここに移しておきます。対象になっているのは、obata の大学業務のページの一覧表にあるように、2005年に大東文化大学で開催された「経済理論学会第53回大会」における報告論文です。


  1. 「資本の概念と株式資本」の中に、下記の文章があります。資本が商品で投下される、とはどういうことを指していますか?生産者が生産物を市場に出す、ということですか?それとも資本の循環運動図式で、商品を出発点とみる、ということですか?いずれにせよ、(「商品」は貨幣から始まる資本の価値増殖運動の一部における一時的な姿態にすぎないのだから)「貨幣ではなく商品が」資本として投下された、とみるのは、無理があるように思います。

(小幡の回答){資本の運動は、資本の投下、前貸によってはじまる。投下された資本額の確定は必要であるが、それは商品で投下されることもある。必要なのは、いつ、いくら投下したか、を明確にすることであり、資本の投下と貨幣の支出とは別個のことである。}

  1. 「貨幣の増殖」と「価値増殖」はちがう、という指摘は、言われてみればその通り。「貨幣の価値」は変化するから、貨幣が増えても価値が減ることはありうる。このことと「資本は回収が目的ではない」は、どう関係するのか?
  2. 投下貨幣の回収によって価値増殖が実現する、と考える必要はない、と書かれています。これも、言われてみると、思い当たる節がある。これだけ世界的にマネーの増発が(QEで)拡大してしまうと、もはや「回収」はしたくてもできなくなる。といってデフォルトさせるわけにも行かないから、さらなるQEで救済する。「投下資本の回収」ではなく「利潤の回収」が目的になる、ということでしょうか?
    矢沢国光

『資本論』第一巻を読む 第10回

第3章「貨幣または商品流通」

第3節「貨幣」

今回は「貨幣」と題された第3節をよんでみます。

  1. なぜ「貨幣」章のなかに「貨幣」節があるのか?
  2. 「貨幣」節は、「蓄蔵貨幣」「支払手段」「世界貨幣」の3項目で構成されているが、どうして一つの節にまとめられるのか?

このあたりを中心に考えてみたいと思います。そして、最後なので、貨幣章全体について振りかえってみます。

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『資本論』第一巻を読む 第9回

第3章「貨幣または商品流通」

第2節「流通手段」

この節はa「商品の変態」 b「貨幣の通流」 c「鋳貨、価値章標」の3項からなっており、全部を2時間で話すのは無理です。前半は、第1章の価値概念に関わるむずかしい記述が再現されているところもあり、丁寧に読むと理解が深まるのですが、後半の「流通手段の必要量」や「鋳貨」の話は、現実の貨幣現象について、現代の問題に引きつけて読むこともできます。どっちで話しましょうか…..

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『資本論』第一巻を読む 第8回

第3章「貨幣または商品流通」

第1節「価値の尺度」

本年もよろしく。今回から貨幣の章に入り、あと3回でこの章を終える予定です。ちょっと、せわしないですが、ポイントを押さえる感じで進めたいと思います。

第1節は「価値の尺度」というタイトルで、この貨幣の第1の機能は「商品世界に価値表現の材料を提供することだ」といきなりいっています。ぼんやり読むと、これは第1章「商品」第3節「価値形態」と違いがないようにみえます。価値表現の材料を提供するという「価値の尺度」は、商品の価値が貨幣商品によって表現されるという「価値の形態」と、いったい、どこがどう違うのでしょうか、一言でいって…

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宇野理論とマルクス

12月20日、独占研究会で「宇野理論とマルクス」というテーマで話すよう注文があり、一年半ぶりに出前にいってきました。

1960年代末、「新左翼」の若者を「宇野理論」が惹きつけた正体は何だったのか? 今となっては、幕末維新の勤王佐幕を大正デモクラシーの世に回顧するようなもの。なので「宇野理論」といっても、私の世代にとっての「宇野理論」はひと味違う、という話を、「正統派」の人たちのまえで、平然と語ってきました。

この種の若者を惹きつけたのは、宇野弘蔵自身も、また直参の「宇野派」のお歴々も自覚していない何かでした。かれらは、もともと「マルクスの収斂説→二段階革命」を拒否し、それなら「世界革命→収斂説「批判」」だろうなんて批判、批判の連続で「アンチ収斂説=純化・不純化論」に漂着してきた連中。だから、上の世代と一緒くたに「宇野派」なんてよばれると、どうも違和感を覚えるようです。

…などと、人ごとみたいにいってしまいましたが、正直にいえば自分一人のことでしかなく。ただ、私としては、マルクスに対しても、宇野に対しても、すべてに対して、つねに「批判的」な姿勢をとってきたつもり。そのあげく気がつけば、「誰々理論」とか「何某派」とかというのが、たとえ自分の名であっても我慢ならない、自己破壊的な困った爺さんになっていた、という笑えぬ話。

さて、当日、研究会で話した内容は、簡単にいうと…

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