100円玉や千円札を、いくらひねくりまわしても、透かしてみても、その正体はわからない。考えてみれば当たり前。だって....
貨幣はそれだけ単独で意味をもつものではないのだから。
貨幣とは、つまり、相手あっての物種(ものだね)。
そこで質問です。
その相手とは....?
相手との関係は....?(相手に何かができる、その「何か」って?)
- ところが、この相手の正体が実はよくわからない。
- どうも、...のようなもの がいろいろでてきて、キッちり定義できないのです。
- 次の問題はむずかしいですが、がんばって考えてみてください。
- 「わかりません」という回答にはマイナス点をつけます。
- だれもすぐにはわかない話です。自分のアタマで一歩でも、いや一頭でも、まえに進もうとする気合いが肝心、この気合いを評価したいと思います。
▶ちょっと目をつぶって...と三回唱えてチャレンジしよう
▼ちょっと目をつぶって...と三回唱えてチャレンジしよう
- 当たり前はアタリマエじゃない。すべては怪しい。
- 世間の常識に惑わされず、自分のアタマ(理性)を信じよう。
- 私が正しく考えたことが正しいのだ。
教科書には「ここでモノというのは,とりあえず「あれ」とか「これ」とか,指し示し特定できる外的対象のことである」 (21ページの第二パラグラフ)と書いてあるが、「指し示し特定できる」ってどういうことか、いまいち、ピンとこない。「リンゴはモノだから何々できるけど、愛はモノじゃないので何々できない」というとき、「何々できる」はふつう、「指し示し特定できる」なんていわずに、なんていいますか。
「抽象的であまり役にたちそうにないことを考えている、形而上学だ」という声が聞こえてきますが、たとえば情報の問題などを経済学で考える基礎の基礎になります。この基礎の基礎をないがしろにして、むずかしいことを考えると、ほんとうにメチャクチャなことになります。...ということで質問です。情報はモノか?
たとえば、ライブのこの講義も一種の情報です。
メディアはデータストリーミングというデータの流れです。
今録音中ですが、この講義が終われば、何メガバイトかのファイルになるでしょう。
あるいはもっとふつうの言い方をすれば、講義時間として、だれが聞いても90分の講義です。
しかしコンテンツはかることはできません。講義の内容は、人によって評価がまちまちです。
講義時間はモノですが、講義内容はモノではありません。
私は決まった時間の講義をして給料をもらう非常勤講師です。
講義内容によって給料は変わりません。でも手抜きはしませんが、
モノの定義をチャンとしないと、「情報はコピーすればタダでいくらでもふやせるものだ」といった、メチャクチャなはなしになります。
教科書の問題5は重要です。考えてみてください。
ここで考えている カ タ カ ナ 表 記 の 「モ ノ 」 は , 自然科学が 扱う客観的存在としての「物」とはちょっと違う。物は主体の関心の対象として,はじめてモノとして現れるのである。このようなモノと主 体の関係は,モノの複製について考えてみるとはっきりする。そこで問題。 モノは複製によって増えるか。
商品という言葉があるのですから、とにかく、どこかに存在しているはずです。... ということでお尋ねします。あなたは何か商品をもっていますか。もっているならそれはなんですか。もっていないという人は、それはどこにいけばお目にかかれるのでしょうか、教えてください。